2017年03月10日

橘玲(2017.1)『ダブルマリッジ』文藝春秋

 オーツが読んだ本です。
 オーツは基本的に小説などのフィクションは読まないのですが、一部のあらすじを事前に知って読む気になりました。
 日本人の妻のいる男性が、自分の戸籍にフィリピン人の妻が入籍していることに気がつき、「重婚」(ダブルマリッジ)の状態になるという話です。
 そんなことがあり得るのか、どうやって解決するのかといったことがオーツの興味の中心だったのですが、残念ながら小説のほうは、男性の娘や入籍してきたフィリピン人の「妻」、さらにはその「妻」との間に産まれた「息子」の話になっていきます。まあ、けっこうどろどろした話になるのですが、元はといえば、若いころ、この男性がフィリピンで若い女性と結婚式を挙げたことが発端だったわけで、自業自得といったところでしょう。わかってしまえばどうということもない話です。しかし、結婚や戸籍をめぐる不思議な話を聞いたという感じは残ります。重婚なんて、今の日本であり得ないと思いますが、実はあり得るのですね。
 この本は、あまりおすすめはしませんが、こんな話が現実的にあり得るということでは新鮮な感覚でした。
 ちょっと非現実的な話ではありますが、万が一にもそんなことがあり得るということは知っておいてもいいかもしれません。
 ま、オーツの場合は、そんなことになるはずがありませんが、……。


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2017年03月03日

小黒一正(2016.10)『預金封鎖に備えよ』朝日新聞出版

 オーツが読んだ本です。「マイナス金利の先にある危機」という副題が付いています。
 序章「預金封鎖への道」では、日本の財政破綻は数年後だとし、預金課税のような話があるのではないかとしています。
 第1章「消費税増税なくして財政再建なし」では、早く消費税を増税するべきで、消費税増税延期などをやっていては財政再建計画は崩壊しているとしています。また合わせて軽減税率の導入はデメリットばかりでやらない方がいいとしています。
 第2章「失敗だらけの金融政策」では、マイナス金利政策は問題だとし、金融緩和の問題点を指摘しています。
 第3章「財政再建、待ったなし」では、将来の債務残高のGDP比が 320% を越えるとしています。社会保障改革をしないと、消費税率は 30% にせざるをえないと警告しています。
 第4章「終戦直後の教訓」では、預金封鎖、通貨切り替えがあり、ハイパーインフレがあったことを述べています。これが再現するだろうという話ですが、さて、どうなのでしょうか。
 第5章「財政危機に「出口」はあるか」では、どんな対策が考えられるかを論じています。カギは預金封鎖だとしています。また、資産防衛の決め手としてビットコインなどの仮想通貨をあげています。
 オーツは一読して、ちょっと期待外れの気持ちになりました。題名に引かれて読む気になったわけですが、本書は、これから日本の財政が大変なことになるという警告の書です。だったら、個人としてできることは何なのか、もう少し具体的に書いておかなければ「題名に偽りあり」ではないでしょうか。
 これから日本の財政が大変だというのはわかります。それに対して、どのようにすることが「備える」ことになるのでしょうか。著者はビットコインを挙げていますが、数千万円とかの個人の財産をビットコインに替えるなどというのは、恐くて、とてもではないけれどできないのではないでしょうか。
 まあ、確実に起こることを書いておいて、あとは個人ごとに事情も違うし、対策もそれぞれで考えてくださいということなのかと思いますが、それは「期待外れ」です。たとえば、本人の年齢をいくつかの段階に分け(たとえば、30代以下、40〜50代、60代以上)、保有資産をマイナス、数百万円、数千万円、数億円(以上)くらいに分けて、それぞれのグループごとに具体的対策を提案するようなことはできるのではないでしょうか。


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2017年03月01日

吉川洋(2016.8)『人口と日本経済』(中公新書)中央公論社

 オーツが読んだ本です。「長寿、イノベーション、経済成長」という副題が付いています。
 著者は経済学者です。マクロ経済学が専門です。日本は人口が減りつつありますが、そうすると働き手が少なくなり、経済は成長しないと考えられるわけですが、著者は、それは間違いだと断言します。経済成長の鍵はイノベーションであり、日本が長寿国だからこそイノベーションを起こすことができる、つまり、今の日本はチャンスを迎えているというわけです。
 目次は、以下の通りです。
第1章 経済学は人口をいかに考えてきたか
第2章 人口減少と日本経済
第3章 長寿という果実
第4章 人間にとって経済とは何か

 第1章は、人口を経済学がどうとらえてきたかを概観します。いろいろな時代、いろいろな地域の人口を調べています。マルサスの『人口論』も当然検討しています。人口については、多いか少ないか、いろいろな考え方があり、議論が分かれているようです。
 第2章では、さまざまなデータを示しながら、人口減少でも日本経済は成長しうることを示します。実際、技術革新で日本は成長してきたわけです。
 オーツは、p.70 に載っている 1878年、1920年、1985年の日本の都市の人口を示した表がおもしろかったです。現在は東京集中型ですが、明治時代はそうでもなく、地方都市にもそれなりの人口があったことがわかります。日本のあり方がこの100年の間に変わってきたことを如実に示しています。
 第3章では、日本を含む先進国が豊かになり、その結果として長寿社会が到来したことを示します。我々は幸せな時代に生きているということです。
 第4章では、「経済」に対する見方を説明しています。経済学入門のような内容でしょうか。イノベーションを起こすことによって、日本はさらに経済成長していけるということが論じられています。
 田んぼをクワで耕していた時代から、トラクターで耕す時代になり、一人で広い田んぼを耕すことができるようになりました。こうして一人あたりの生産性が上がり、豊かになっていくわけです。こういうことが継続すれば、人口が減少していくとしても経済成長は可能だろうと思いました。

参考記事 http://agora-web.jp/archives/2020968.html


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2017年02月10日

李榮薫(2009.3)『大韓民国の物語』文藝春秋

 オーツが読んだ本です。「韓国の「国史」教科書を書き換えよ」という副題が付いています。
 韓国で教えられ、一般に正しいとされる歴史がいかに事実から離れているかを論じた本です。
 重要なことは、この本は韓国で(ハングルで)先に出版され、それが日本語に翻訳されたということです。つまり、もともと韓国人読者に向けて書かれたものであるということです。韓国の歴史に関する事実誤認など、修正するべき点があまりにもたくさんあるので、それを一通り論じてみよう、つまり韓国の正しい歴史とは何かを韓国人に語ったものだということです。
 第1部は序論のような内容です。
 日本との関係で興味深いのは第2部でしょう。李氏朝鮮から滅んでから日本が敗戦するまでを扱っています。その目次をかかげると、以下の通りです。(1と2は第1部に含まれています。)
3 李朝はなぜ滅んだのか
4 「植民地収奪論」批判
5 植民地近代化論の正しき理解
6 協力者たち
7 日本軍慰安婦問題の実相
8 あの日、私はなぜあのように言ったのか
 8章は、そのタイトルだけからは何を議論しているのか、わかりかねますが、慰安婦問題を扱っています。
 このように、目次を見るだけでも、韓国内ではタブーとされるような話(見方)が次々と出てきます。まじめに資料に基づいて議論すれば、自ずとこんなことになるものでしょう。こういう話が韓国で一般化しないことがまさに問題なのですが、今となっては、韓国はどうしようもないのかもしれません。
 何はともあれ、韓国内にも、客観的に史実を見ようとする研究者が現れていることを知ることができて、視野が広がりました。韓国人というと、すぐに主観的・感情的にものごとをとらえ、大声で自己主張するような印象ができあがってしまいましたが、そうでない冷静な判断ができる人がまだまだいるのです。
 本書で語られる話の内容は、日本人から見れば特にどうということのない議論ですが、韓国人にしてみたら、自分が教わってきた「真実」と全然異なることであり、読んだ人はショックを受けるのかもしれません。
 しかし、韓国にも「言論の自由」があるのですから(日本と違ってかなり制約が強いようではありますが)、韓国人もこういう内容も読むべきだし、その上で、もしも本書の記述が間違っているなら、具体的にどこが間違いなのか、事実を指摘するべきです。そういうことが保証されているということが言論の自由なのです。
 第3部は、「くに作り」ということで、1945年以降の韓国の建国や朝鮮戦争などの話です。韓国人には避けて通れない重要なテーマでしょうが、日本人からすると、あまり関心がないテーマのように思います。
 オーツは、韓国で教えられている「歴史」がどういうものか、知りたい気分になりました。まあ、知ったからといって何かが変わるわけでもないのですが、少なくとも、韓国人のおかしな議論について、理解する一助になりそうな気がしました。

参考記事:
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/48443


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2017年01月21日

井上章一(2015.9)『京都ぎらい』(朝日新書)朝日新聞出版

 オーツが読んだ本です。
 著者の井上氏は京都が嫌いだというのです。どんなところが? くわしくは本書を読む必要があります。
 1「洛外を生きる」では、井上氏の出身地の嵯峨、また長らく居住している宇治は京都ではない、少なくとも、京都の中心部に住んでいる人たちから見たら、田舎であるという話です。そして、京都の(中心部の)人たちには田舎の人を見下す傾向があることが語られます。
 この章を読んで、オーツはその昔、京都の住民にいろいろ聞いた話を思い出しました。その人は、西京区に住んでいたのですが、その前は京都の中心部に住んでいたとのことです。そして、西京区の新興住宅地に移り住んできたわけですが、「ここは京都ではない」というのが持論でした。日常のさまざまなことで京都ではないことを思い知らされるということでした。オーツが聞いた話の詳細をここに書くことはできませんが、井上氏の論調と一致しています。
 2「お坊さんと舞子さん」では、京都のお坊さんは袈裟姿で市内の繁華街で飲み歩くという話です。京都でお坊さんと舞子さんがどんなものとして意識されているかを語っています。
 3「仏教のある側面」では、仏教寺院の拝観料に京都市が税金をかけようとしたことを取り上げ、結局、その話は流れた(税金は取れなかった)ということになりました。その顛末を語っています。
 4「歴史のなかから、見えること」では、京都の歴史のいくつかの側面を描いています。江戸幕府やら「銀座」の地名やら、話はあちこちに及びます。しかし、京都の人の歴史好きという面はかなり強いようです。
 5「平安京の副都心」では、京都の中のいくつかの地域について、どんなものと考えられてるかが語られます。
 全体として、とてもおもしろい本でした。普通の感覚の京都論とは異なり、新しい視点を提示してくれます。歴史や伝統があることはいいことですが、同時にそこに生きる人々をそれらが束縛し拘束するような面もあるようです。
 この本の記述は、何かの資料に基づいているというよりは、著者個人の体験に根ざした話なのですが、それだけに新鮮な感覚で読むことができました。まあ、オーツのように関東生まれ、関東育ち(著者の井上氏よりもはるかにはるかに田舎育ち)の人間が理解できるようなことではないとは思いますが、……。


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2016年12月31日

有馬哲夫(2016.8)『歴史問題の正解』(新潮新書)新潮社

 オーツが読んだ本です。
 まえがきの出だしを引用します。「本書は日本、アメリカ、イギリスの公文書館や大学図書館などで公開されている第一次資料に基づいて歴史的事実を書いたものである。そのため出典を明らかにするために巻末に詳細な註釈を付けた。これによって私が何を根拠にして歴史的事実と考えているのかがわかる。」
 このひとことによって、本書がどういう性質のものかがわかります。
 巻末の註釈(文献の出典の記述が主なものですが)の次に初出一覧があり、いろいろな雑誌などに書いてきたものをまとめたものであることがわかります。
 本書の内容は目次を見ると明らかです。
第1章 「南京事件」はプロパガンダから生まれた
第2章 真珠湾攻撃は騙し討ちではなかった
第3章 ヤルタ会議は戦後秩序を作らなかった
第4章 北方領土はこうして失われた
第5章 ポツダム宣言に「日本の戦争は間違い」という文言は存在しない
第6章 日本は無条件降伏していない
第7章 原爆投下は必要なかった
第8章 天皇のインテリジェンスが國體を守った
第9章 現代中国の歴史は侵略の歴史である
第10章 日韓国交正常化の立役者は児玉誉士夫だった
第11章 尖閣諸島は間違いなく日本の領土である
 というわけで、歴史の中でも、戦前から戦後にかけての時期を扱っています。
 オーツは、この時期あたりについて、きちんと勉強したことはないので、知らない話がいろいろ出てきて、興味深く思いました。そして、資料に基づいて戦争時代を振り返ってみると、「常識」とされている見方に疑問符が付くケースがいろいろあることに気づかされます。だから、それをただそうとする本書の主張は意味があると思います。
 一番大事なポイントは、「資料に基づく」ことです。これなしでは、単なるプロパガンダにしかなりません。本書を読みながら、この点はしっかりしていると感じました。
 本書は、日本の近代史を見ていく上でおすすめできる良書だと思います。

参考記事:http://agora-web.jp/archives/2020853.html


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2016年12月26日

森山優(2016.11)『日米開戦と情報戦』(講談社現代新書)講談社

 オーツが読んだ本です。新書とはいえ、333 ページもあって、読むのに時間がかかりました。
 「はじめに」の先頭にある1文で、本書の内容を知ることができます。「本書は、日米戦争の開戦決定過程を、インテリジェンスの問題も視野に入れて再検討する。」ということです。インテリジェンスというのが「情報戦」に該当します。
 日米は、当時、暗号解読合戦をしていたようなものです。その上で、相手がどんなやり方をねらっているのか、探りを入れ、その情報を基に自分たちが有利になるように外交的に動いていたわけです。
 歴史学者の書いた著作物らしく、記述は綿密です。誰がどうこうしたというようなことがきちんと押さえられており、信頼できる著作のように思います。しかし、オーツはもう少し手軽に読みたい気分でした。綿密な記述もいいけれど、専門家でない一般読者には、短く端的な記述もありがたいものです。
 本書を読むと、当時、特にアメリカは日本の暗号をかなり解読していたようです。しかし、結果的にそれを活かしきった(外交的に勝利した)とはいえないように思います。悲惨な戦争になってしまったわけですから、情報戦に勝利したというのとは違います。
 日米開戦は、日本が一方的に侵略の意図を持って行ったものだとはいえないと思います。双方の思惑がからみあい、さまざまなレベルの交渉があり、その結果が戦争につながったということです。


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2016年12月12日

百田尚樹(2016.2)『カエルの楽園』新潮社

 オーツが読んだ本です。
 カエルが主人公の寓話です。ナパージュというツチガエルの国の話ですが、これは NAPAJ のことであり、日本のことを指し示しています。そこは、三戒という方針(ナパージュの国是のようなものです)が徹底されています。ちょうど憲法第9条のようなものです。ナパージュは平和の楽園として描かれています。
 そんな中、ウシガエル(中国のことを暗示しているようです)がだんだんナパージュに進出してきます。ナパージュの国は大騒ぎになります。
 しかし、オーツは、こういう本をあまりおもしろいと思いませんでした。完全にフィクションですから、こうなったというストーリーを聞いても、「ああそうですか」という程度の感慨があるだけです。
 オーツは元々フィクションをほとんど読みません。高校生のころは文庫本で小説などを読んでいたのですが、その後はどうにも読む気が起こりませんでした。
 この本は、完全に寓話であり、カエルが話をするわけです。それだけで読む気をなくしそうです。さらに、ストーリー展開がおもしろくありません。日本だったら、政府やマスコミが大騒ぎするところですが、それを別の登場人物に語らせています。しかし、通り一遍的であり、常識的な展開です。ハラハラするわけでもなく、淡々と話が進みます。
 Amazon のコメントなどを読むと、とても高い評価と低い評価が入り交じっています。全般に高い評価が多いようですが、なぜ高く評価するのか、オーツには理解できませんでした。
 3時間くらいで読み終わりましたが、他に読むものを持っていればそちらに移ったことでしょう。


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2016年12月05日

筒井清忠(2015.8)『満州事変はなぜ起きたのか』(中公選書)中央公論新社

 オーツが読んだ本です。
 満州事変以前の数十年の日本の歴史を描いています。いわば、なぜ日本は戦争に巻き込まれていったのかというような内容です。
 著者はいろいろな資料をあさっているようで、それらは本文中に参考文献としてあげられ、ページ数まで書かれています。巻末に参考文献一覧と索引が付いていて、良心的な本です。
 オーツはこの本を少しずつ読み進めていったのですが、全部読了して、一番疑問に思ったのは、さて、満州事変はなぜ起きたのかと考えてみても、どうもよくわからなかったことです。
 同じ時期にいろいろな事件があり、それぞれに背景があります。それらが絡み合って歴史が動いていきます。それらを丹念に追いかけていくと、事実ばかりが見えてしまって、なえぜそうなったかという理由が見えなくなってしまいます。
 本書は、丹念な記述が特徴だと思いますが、それだけに、かえってずばり満州事変の起きた理由を手軽に知ろうとすると肩すかしを食らった感じです。
 むしろ、池田信夫氏による本書の紹介
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51968641.html
を読んだ方が手っ取り早くわかるというものです。
 こういう紹介を読むと、確かに本書に書いてあったなあということがわかります。本書の記述量がやや長すぎるのかもしれません。いや200ページの本を「長い」と言っては罰が当たります。少しずつ読み進めていったオーツの読書スタイルがよくなかったのかもしれません。全体を把握したいときは、一気に読む方が向いています。


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2016年11月25日

特集「この国を蝕んでいるのは誰か」(2016.6)ジャパニズム 31

 オーツの読んだ本です。いや、体裁からいえば、本というよりは雑誌というべきです。
http://honto.jp/netstore/pd-book_27884924.html
 しかし、ISSN でなく ISBN を取得していますから、逐次刊行物ではないということになります。ややこしいです。
 内容としては、漫画もありますが、全体としては固い記事が多いというべきでしょう。どちらかというと右寄りの傾向を持っています。とはいえ、そんなにエキセントリックな書き方ではなく、普通にものの見方を示しているような状況です。
 奥付には「ジャパニズムでは皆さんの周辺で見聞する反日の事象などを募集しています。」とありますから、この雑誌が右寄りであることがうかがえます。
 個別の記事の集合ですから、本というよりは雑誌です。いろいろな日本社会の問題が描かれます。
 知らない話がたくさんありますので、読んでいておもしろく感じました。
 たとえば、渡邉陽子氏の「自衛隊東京が支えた1964年東京オリンピック」というのは、オーツがまったく知らなかった話であり、驚きを持って読みました。
 こういう本と比べると、マスコミは何を読者に提供しているのか、疑問に感じます。


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2016年11月23日

橘玲(2016.5)『「リベラル」がうさんくさいのには理由がある』集英社

 オーツの読んだ本です。
 本書の中心は、週刊プレイボーイの連載コラムです。
 ということは、『バカが多いのには理由がある』
2014.9.28 http://o-tsu.seesaa.net/article/406146199.html
の続編ということです。
 Part 0 は「「リベラル」の失敗――「沖縄『集団自決』裁判」とはなんだったのか」ということで、60ページほどをとっています。この部分は書き下ろしだとのことです。慶良間諸島の集団自決をめぐって、それが日本軍が住民に強制したものだったのか否かが論じられます。裁判で用いられた証拠品など、客観的な証拠に基づいていますが、こういう事件が相対立する二つの見方で根本的に分断されているのは、何とも不思議な気分です。
 Part 1 からは2ページ程度の短いコラムを基本としていますので、読みやすい記事であると思います。オーツはトイレの中にこの本を置いておいて、用を足すたびに少しずつ読み進めていきました。
 一つ一つの評論を紹介するのも変なのでやめておきますが、日本社会をどう見たらいいのか、気づきがたくさんありました。読んでいて納得するところが多い本でした。
 この著者の次の本が出たら、また読むことになりそうです。



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2016年10月30日

細谷雄一(2016.7)『安保論争』(ちくま新書)筑摩書房

 オーツが読んだ本です。
 本書の主題は 2015年に成立した安全保障法案をめぐる賛成派と反対派の主張を考えることです。
 平和を追求する基本姿勢は変わらないものの、安保法案をめぐって激しい対立が起きたことは実に不思議なことです。著者は、国際関係を基本に日本の憲法解釈の問題などにも踏み込んで日本の戦後の歴史を語っています。
 オーツは、本書を読んで、戦後史の一断面を見る感じになりました。いわば、自分が生きてきた世の中を振り返る感覚です。
 そして、今思うのは、若いころに朝日新聞をずっと継続して購読していたことが、いろいろな問題への目を曇らせてきたのではないかということです。なぜ朝日かということをあまり考えずに、何となくそうしてしまったのですが、このあたりがよくなかったと思います。
 本書などは、朝日新聞では絶対にお目にかからない論説です。しかし、いろいろな主張のそれぞれを聞いてみると、どちらが妥当か、それなりに判断できるような気がします。
 一般人にはそれで充分でしょう。専門家ではないし、政治家になる必要もありません。ただ、選挙のときどんなことを基準にして投票先を決めるかが判断できれば、国民=市民としては充分だろうと思います。
 というわけで、本書を一読して、安保法制に対する考え方も自分なりにわかったように思いますし、何か、曇りがさあっと晴れるような気分になりました。

参考記事:
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51980516.html


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2016年10月24日

エドアルド・ポーター(2011.9)『「生き方」の値段』日本経済新聞出版社

 オーツが読んだ本です。「なぜあなたは合理的に選択できないのか?」という副題が付いています。
 この本のタイトルは、直観的に理解できません。英語の原題「The Price of Everything」のほうがずっとわかりやすいと思います。いろいろなものの値段を考える本です。
 第1章「「モノ」の値段」では、いろいろなものの値段が妥当なのか、どうやって決まったのか、値付けを変えることでどんなことが起こったのかを論じていきます。具体例が多く、とても興味深い記述です。
 第2章「「生命」の値段」では、事故などで死亡した人にどういうふうにお金が支払われるかを通じて、「生命」にも値段が付いていること、さらにそれは人ごとに違っていることを述べます。自分の命の値段が自分でわかっていないとしていますが、それはそうでしょう。普通の人はそんなことを考えることすらしないと思います。
 第3章「「幸福」の値段」では、どれくらい所得が増えるとどのくらい幸福感が増すかなどから、幸福も金で買えるものだとしています。ある面では確かにその通りです。
 第4章「「女性」の値段」では、結婚するときに花嫁側にお金を支払う習慣がある民族の例を挙げて、その金額を論じます。女性にも値段が付けられているというわけです。
 第5章「「仕事」の値段」では、どんな仕事をするとどんな報酬があるかということから、仕事の値段を論じます。
 第6章「「無料」の値段」では、ネット上で無料で手に入るものであっても、実は隠れたコストがかかっているので、本来的に無料ではないと論じます。
 第7章「「文化」の値段」では、投票の値段(選挙の際の一票の買収の値段)の話しや、動物の権利を守るための値段(というよりも、そのために多少高くなってもいいと考える場合のその割増料)、イギリスの料理の考え方、アメリカのそれ、チップの習慣など、多様なものを扱っています。
 第8章「「信仰」の値段」では、宗教的な行事などで人々がどれくらいコストをかけているかを論じます。宗教による違いや、無宗教の人との比較などもおもしろい観点です。
 第9章「「未来」の値段」では、あるものの価格が100年後、200年後にどうなっているかを論じます。金利を考慮すると、今の価格は相当に安くても、未来にはかなり高くなるものです。しかし、人々はそういう考え方をしない(それに慣れていない)としています。
 こんなことで、きわめて多様なものに対して、それを「値段」という枠を通じて見てみると、どんなふうに見えるかを扱っていると思います。著者は、ものすごい量の参考文献を読んで、この本をまとめたもののようです。巻末の参考文献リストにはビックリします。
 副題が示すとおり、人々の価値判断はなかなか合理的とは言えないもののようです。こうして、本書は「値段」を通じて、人間とはどういうものかを描いているといえます。


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2016年10月22日

野中尚人(2013.4)『さらばガラパゴス政治』日本経済新聞出版社

 オーツが読んだ本です。「決められる日本に作り直す」という副題が付いています。
 日本の政治のあり方を痛烈に批判する内容です。
 政治の動きを見ていると、何とももどかしく感じるものですが、それは、時の総理大臣なり、与党なりの問題ではなく、日本の政治的な決定のプロセス自体にあるということです。
 したがって、政権交代があろうとどうだろうと、仕組み自体が変わるわけではないので、日本のあり方を変えるようなことはできないというわけです。
 本書では、日本の政治の仕組みをヨーロッパの先進国などと比較する部分がかなり多いと思います。まあ、外国を鏡として、そこに日本の姿を写して、日本を考えるという常套的手段ということになるでしょうか。
 3年以上前の出版なので、今となっては記述が古い部分もありますが、本書で指摘されている日本の問題点は何も変わっておらず、現在でも通用する議論であると思います。
 本書では、日本の議院内閣制がおかしいと述べています。総理大臣のリーダーシップが発揮できず、国会至上主義が蔓延し、しかもその国会が野党の「抵抗」で大事なことでも何でも「決められない」事態になりがちであるというわけです。予算執行でさえも、首相が決められない(なぜならば「特例公債法案」を国会が認めなければ国債の発行ができず、予算案が机上の空論になってしまうから)といった状態では、首相といえども手足を縛られた状態であるといっても過言ではないでしょう。
 国会の非効率もはなはだしいもので、討議・討論がどこにあるのか、わからない状態です。予算委員会などは特にひどく、「予算委員会」といいながら、審議の内容は何でもありになっていて、肝心の予算の審議をしていないのです。これはテレビの国会中継を見ていてもわかります。
 閣議は、内閣の最重要会議ですが、そこでも実質的な議論はなされず、単なるサイン会になっているとしています。実情を見ると、そう見えてもしかたがないことになっています。
 というようなことで、現在の日本の政治がどんなものかを理解するにはとても適した本のように思えます。本書を読むと、なぜ日本の政治家があんなふうに行動するのか、とてもよくわかります。

参考記事:
http://agora-web.jp/archives/1532093.html


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2016年10月05日

池田信夫(2016.8)『「強すぎる自民党」の病理』(PHP新書)PHP研究所

 オーツが読んだ本です。「老人支配と日本型ポピュリズム」という副題が付いています。
 簡単に言えば、戦後の政治史といった内容です。戦後の日本がどのように政治的決定をしてきたかを描いています。戦後史を学ぶことがなかった人間にとって、日本の戦後の歴史はこういうことなんだよと教えられたように思います。その意味では、若い人にこそ読んでほしいと思いました。これから何十年も日本がどうなるか、日本をどうするか、考えるべき立場にいるからです。
 プロローグ「世界に広がるポピュリズム」では、デモクラシーが行き渡った世界だからこそポピュリズムが広がるのだということで、現代社会をポピュリズムの観点から説明しています。
 第1章「老人の老人による老人のための政治」では、今の政治のあり方を端的に老人政治であるとしています。まさにその通りです。
 第2章「60年安保で失われた政策論争」では、60年安保の位置づけがおもしろかったです。岸総理が何をどう判断したのか、現代の目で過去を見ながら、政治家はこう考えていたのだと説明しています。
 第3章「社会党という無責任政党」では、戦後の政治史を見るときに欠かせない社会党の簡単な歴史です。社会党とはどんな政党だったのか、こういう説明を聞くと、同時代を経験してきた人間としては、大いに納得するところがあります。
 第4章「田中角栄の生んだバラマキ福祉」では、田名角栄を例に、バラマキ財政がどんなものだったかを描きます。田中角栄によって自民党のあり方が変わったと言ってもいいのかもしれません。
 第5章「小沢一郎がつくって壊した日本の政治」では、小沢一郎がどういう政治家だったのかを描きます。これまたオーツは納得しました。
 第6章「小泉政権「官邸主導」の革命」では、それまでの自民党の政治の中で見ると小泉政権がいかに異色だったかを描きます。しかし、それはうまくいったわけではなかったといえます。
 第7章「民主党政権の「政治主導」はなぜ失敗したか」は、民主党時代の3年間、なぜ日本はうまくいかなかったのかをまとめています。今から思えば「政治主導」を掲げることがそもそも失敗だったのではないでしょうか。(その当時はそうは思わなかったのですが、……。)
 第8章「「安倍一強」はいつまで続くのか」は、今の内閣をどう眺めるか、どんなものと位置づけるかを論じています。まさに同時代の現代史です。政治に対する「目」がわかります。
 第9章「成長経済から成熟経済へ」では日本の経済のあり方が変わってきたということから、次の新しい時代をどう見るべきかを論じます。
 エピローグ「もし小泉新次郎が首相になったら」で、日本の近未来を描きます。うまくいくのでしょうか。これは未知数でしかありません。
 というわけで、読んでいてオーツの経験してきた日本の歴史が新しくとらえ直されたような気がしました。
 良書だと思います。


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2016年10月02日

佐藤弘幸(2016.7)『税金亡命』ダイヤモンド社

 オーツが読んだ本です。分類から言えば、小説に該当するでしょう。フィクションです。
 あらすじは、ビルの売却で10億円の利益を出した人が、法人税を払わずに済ませるために、香港の会社を利用して脱税します。そして、その悪事を国税局のメンバーらが暴いていくわけです。こんなこともするのかというようなリアルな税務調査の実態が描かれています。
 税務署などとちがって、国税局課税部資料調査課は、実地調査を行うわけですが、すでにクロと目される案件を扱うとのことですから、訪問先にはたいていアポなしで行くとのことです。
 著者の佐藤氏は、元東京国税局の人です。関係者が使う隠語があちこちに出てきて、いかにもそれらしい雰囲気が醸し出されます。たとえばタマリというのは、脱税したあとに隠されて保管されている資金のことです。
 税務調査はこんな考え方で行うのかというあたり、オーツにとって新しい知識でした。たとえば、担当者ごとに金額上のノルマがあり、したがって脱税額(の見込み)が大きいものから順に調査対象になるとかいうことです。
 本書は 300 ページ以上の分量がありますが、会話のところは改行が多かったりしますので、そんなに長時間はかからずに読み終えることができました。
 そういえば、オーツは、税務署に呼び出されたことがありますが、もう30年も前の話です。オーツが保管していた領収書などを税務署に持参して、確定申告の内容と突き合わされたりしました。もちろん、正確な申告を心がけていますので、まったく問題はなく、すぐに帰ることができたのですが、そういう零細な個人の税務調査をするよりも、この本で出てくるような、いかにも怪しげな高額の取引を洗っていったほうが追徴できる金額が大きくなるから効率的でしょう。


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2016年09月23日

藤岡信勝(編著)(2016.5)『国連が世界に広めた「慰安婦=性奴隷」の嘘』自由社

 オーツが読んだ本です。「ジュネーブ国連派遣団報告」という副題が付いています。
 本書を読むと、国連がずいぶんとひどい組織であることがわかります。日本人は、国連に頼って平和を守ろうというような考え方が強いように感じますが、それは大変な幻想であることがわかります。各国の利害がぶつかり、それぞれが自己主張し、その結果、何も決まらなかったり、とんでもない話が通ってしまったりという、かなりおかしな組織です。
 本書は 419 ページほどの本ですが、多数の著者が分担執筆しています。そのためか、やや冗長なところもありますが、全体として、オーツが知らなかったような国連の実態が描かれており、大変興味深く読むことができました。
 〈序章〉「「慰安婦=性奴隷」説の捏造と拡散」では、国連を利用して、一部の日本人が間違った説を広めていったことが記述されます。sex slave ということばも戸塚悦朗元弁護士が国連人権委員会に持ち込み、国連がそういう言い方をするようになったとのことです。
 〈第1章〉「そもそも、国連とは何だったのか」では、国連とはつまり第二次世界大戦の「連合国」のことであり、日本では、時期によって The United Nations の訳語が違っているわけですが、英語圏や中国語・韓国語でも同じ言い方をしているとのことです。そして、国連は膨大な予算を使いながら、けっこう腐敗が広がっているという話です。
 〈第2章〉「世界に広がった「慰安婦=性奴隷」の嘘」では、世界各国で慰安婦がどう報道されているかをまとめています。「慰安婦=性奴隷」は、今や世界の潮流になってしまっています。これを否定することはなかなかむずかしいことになってしまっています。
 第3章から第6章までは、著者たちの国民運動調査団が国連に行き、その実態を見て、慰安婦=性奴隷ではないという趣旨の発言をし、国連が日本政府に事実確認を求めるというような流れができつつあるという報告です。
 慰安婦問題では、日本政府の腰が引けている対応が問題を大きくしてしまったといえると思います。国連のクマラスワミ報告についても、せっかく外務省が反論の文書をまとめながら、結果的にそれを公表することなく、いわば日本政府がクマラスワミ報告を認めてしまった形になっています。なぜこういう対応をしてきたのか、まったくわかりませんが、日本外交の失敗の典型例のように思えます。
 本書は、慰安婦問題の実際を知る上で有用な資料だと思いました。


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2016年09月18日

岡田一郎(2016.7)『革新自治体』(中公新書)中央公論社

 オーツが読んだ本です。「熱狂と挫折に何を学ぶか」という副題がついています。
 1960 年代から 1970 年代にかけて全国に革新自治体が増えました。その歴史を追ったものです。オーツは、自分の学生時代に重なってきますので、当時、どんなことを考えていたのか、思い出しつつ読みました(というほどには政治を考えていなかったのですが)。
 本書は、かなり淡々と歴史的推移を記述しているような感じに思えました。事実を押さえることは大事ですから、その態度に問題があるわけではありません。しかし、新書1冊分を読み終えて、では革新自治体とは何だったのか、「何を学ぶか」と副題にあるのに、何が学べたのか、考えてみると、若干の不満が残ります。各章の記述を終えたあと、終章で数十年の歴史を振り返って、革新自治体の功罪などを著者の観点で概観するようなことがあればよかったのにと思いました。
 結局、目新しさで「革新」が支持を伸ばしたものの、各自治体ごとの問題は問題として残り、それを解決するためには、保守とか革新とかいう方針の違いはさておき、目先の課題に取り組んで行かざるを得ないのではないかと思います。このあたりは、間接選挙で(国会の多数派から)首相を選ぶ国の仕組みと、直接選挙を通して一人の首長を選ぶ地方自治体の仕組みの違いを反映しているようにも思えます。一人の革新首長が誕生すれば、革新自治体ということになりますが、議会はそれとは別に存在しているわけで、革新であろうとなかろうと、議会の賛同を得ないと首長一人では何もできないようなものです。そういう地方自治の問題とも絡んで、革新自治体というものを取り上げて論じることのむずかしさのようなものを感じてしまいました。

参考記事:
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51980769.html


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2016年09月15日

吉見俊哉(2016.2)『「文系学部廃止」の衝撃』(集英社新書)集英社

 オーツが読んだ本です。タイトルは衝撃的ですが、中身は大学論が中心といってもいいでしょう。
 大学の今後を考える上で貴重な1冊となるように思います。
 第1章「「文系学部廃止」という衝撃」は、2016年6月に大騒ぎになった文科省の通達をめぐる騒動を描いています。このときに突然問題になったわけではなく、もっと前からしだいに文系学部が縮小される方向に舵が切られていたという話です。
 第2章「文系は、役に立つ」は、文系をめぐる議論の中で、文系が役に立たないけれど価値があるので廃止する必要はないという考え方に反論します。章のタイトルのように「文系は、役に立つ」という議論です。国家のようなものに役に立つのではなく、人類の普遍的な価値のために役に立つという議論です。合わせて、人文社会系ということと、教養やリベラルアーツとどう違うかなどを議論します。その上で、文系は長期的に見て役に立つのであって、理工系のように短期的に役に立つというのと役に立つ立ち方が異なるのだという話を展開します。
 オーツは、著者のいいたいこともわかるけれども、社会が大学に期待する「役に立つ人材の育成」というのは、やはり短期的なものだろうなあと感じています。数十年後に効果が現れるようなことっていうのは、やはり長期的すぎて大学が役に立ったのかわかりません。大学卒業後に、その人が社会の中で身につけ、また成長し、変化してきたために大学の効果が現れたように見えるだけで、大学が役にたったというのと少々違うように感じます。
 第3章「21世紀の宮本武蔵」では、大学がどのように変わってきたか、またこれからどう変わっていくのかを展望します。「宮本武蔵」が出てくるのは二刀流、つまりダブルメジャーなどの制度変更を念頭においてのことです。
 第4章「人生で3回、大学に入る」ということで、高校を卒業してすぐに大学に入るとともに、就職後しばらくしてから再度大学で学ぶようにするといいということ、さらには、定年を迎えて仕事に区切りをつけてからもう一度大学で学ぶといいということを論じます。もちろん、3回の大学生活で同じ専門である必要はなく、むしろ、別の専門をいろいろ幅広く学ぶのがいいということになります。
 オーツは、このような大学像もおもしろそうだとは思いつつ、果たして、3回も学びに来るような人がどれだけいるのだろうかと疑問に思う部分があります。オーツだったら、2回目、3回目は省略してしまいそうです。学生として大学に払う授業料だけでも、かなりの金額になりますから、それだけの金額を使うなら、もう少し違った使い方をしていろいろ学んでみたいと思います。
 大学について考える上ではおもしろい本だと思いますが、オーツは、文系学部の今後を考えると、なかなか大変な面があるように感じています。意見がバラバラで、イメージしている大学像、学生像など、分野ごとに(研究室ごとに)全部異なっており、全員が一致しないところが文系学部の特徴かもしれません。そんな中で大学のあるべき姿を変更しようとすると、膨大なエネルギーを使わざるを得なくなります。それだけの価値があるのかというと、ちょっとどうなんだろうかと思うわけです。ということで、大学は変わらないということをずっと続けてきたのでしょう。

参考文献:
http://imnstir.blogspot.jp/2016/05/blog-post.html


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2016年09月06日

津上俊哉(2015.5)『巨龍の苦闘』(角川新書)株式会社KADOKAWA

 オーツが読んだ本です。「中国、GDP世界一位の幻想」という副題が付いています。
 中国の経済がどうなっているかを概観した本です。著者は通産省の役人を経て、在中国日本大使館の参事官などを務め、その後民間企業の社長をつとめるという経歴の持ち主です。中国経済の専門家ということです。
 では、その専門家が今後の中国をどう見ているか。専門家ということもあるでしょうが、あまり断定的な予測を書いているわけではありません。うまくいくかもしれないし、うまくいかないかもしれないというスタンスです。それはそうだけれど、読者としては、もう少し断定的な「おもしろい話」を期待したいところです。
 著者は、まえがきで「しがらみのない自営業と門外漢の強みを活かして(?)、見るまま感じるままに書いた外交・安保論です。」と書いています。経済的な見方というよりは、ちょっと違うところを見てみましたということです。
 第1章「危機感を共有する人々――中国共産党は巨大な「振り子」である――」では、共産党の方針について左右に振れる振り子だという論を展開していきます。習近平は再度右旋回しているという見方です。中国の政治のスタンスを考える一つの見方としておもしろいと思いました。
 第2章「投資・信用バブルの終焉――「高成長持続」幻想は崩壊した――」では、GDP成長率と他の経済統計のつじつまが合わないことから、GDP成長率はあてにならないこと、それよりも、中国のバブル後遺症や不良債権処理などを見るほうが実態に近いと述べています。中国経済の実態はかなりひどいようです。
 第3章「「新常態」(ニューノーマル)の本質――ポストバブル期が始まる――」では、今後の中国のあり方を論じています。成長率がさらに下がるとともに、地方財政がおかしなことになっており、そこを何とかしないと中国全体がおかしくなることをといています。
 第4章「三中全会の経済改革――新しい成長エンジンを育成する――」では、現在考えられ討議されている経済改革の方向について議論しています。いろいろなことに触れていますが、全体としてどうなのか、というような概観というか俯瞰する観点があまりないように感じました。ちょっとわかりにくいと思います。
 第5章「経済のシナリオ分析――短期・中期・長期で分析する――」では、今後の中国経済を占います。オーツは記述の歯切れが悪いように感じました。
 第6章「「国家ガバナンス改革」の本質――統治の制度が行き詰まった――」では、司法体制改革が始まりつつあるが共産党の指導という国家理念とぶつかるため、なかなか法律で国家を治めるようにはならないことを述べています。
 第7章「「核心利益」から「周辺外交」へ――習近平の外交政策を読み解く――」では、最近の中国の外交がどんなふうに変わってきたかを述べます。「経済大国外交」を進めようとしているが、実際はなかなかむずかしいようです。
 第8章「外交シミュレーション――外交・安保屋さんの四象限分析を解く――」では、四つの象限で中国を眺めようとしていますが、オーツはこの考え方がイマイチ理解できませんでした。
 第9章「「安倍・習近平」の日中関係――思い込みを「ご破算」にしてみる――」では、日中首脳会談などを通して中国の対日政策を読み解こうとしています。著者の見方の提示ですが、なぜそのような見方がいいのか、あまり根拠を示していないように思われ、本書の記述がどのくらい合理的か、よくわかりませんでした。
 全体としてすらすら読めるというスタイルではなく、歯ごたえがあります。わかっている人にはこういう書き方でいいのでしょうが、オーツのような素人に対しては、もう少し解説的に語ってもらえる方がありがたかったです。


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