2014年07月19日

オール・ユー・ニード・イズ・キル(2014)

 オーツは、ユナイテッド・シネマとしまえんまで、平日の夜に見に行きました。
 IMAX 3D 上映ということで、入場時に 3D メガネが渡されます。
 いざ、上映が始まると、その迫力に驚きました。
 トム・クルーズが広報担当のさえない将校を演じます。ところが、あることから戦場に駆り出され、2等兵として最前線で敵(宇宙からの侵略者)と戦う羽目になります。おもしろいのはここからで、死ぬとリセットされて同じとき同じ場所に戻るのです。しかし、過去の記憶や経験は頭に残ります。それを駆使すると、とんでもなく強い兵士になります。しかも、ある意味で未来を見通せるわけです。
 ケガをしたりすると、直すよりも死んでしまってリセットするほうがいいというような場合もあり、何十回もいや何百回も死ぬことになります。
 基本的にはSFアクション映画です。変わった兵器が出てきたり、パワードスーツが大活躍したりします。そのような設定の中で、同じような話が何回も繰り返されるのですが、そのたびにストーリーが少しずつ違っていきます。そんなふうに違っていっても、出てくる人の反応が変わらないというのもおかしな話ですが、まあそれはいいとしましょう。
 基本的には簡単なストーリーを繰り返していくため、全体がとてもわかりやすくできています。これもこの映画の強みでしょう。
 2時間の上映時間はあっという間でした。
 3D の迫力もよかったと思います。ただし、普段使っているメガネの上に 3D メガネをかける形になるので、ちょっと重く感じました。最後まで見ていたら、涙が出てきました。悲しいとかいう意味ではなく、単に目が疲れたのです。オーツはそれくらい集中して見入ってしまったということでしょうか。
 最近は、原題そのままの邦題が多いのですが、この映画も、一見そのように見えて、実は「edge of tomorrow」が原題です。原題も邦題もあまりしっくりきません。何かもっといいアイディアがありそうなところです。公開された後は変更できませんが……。

公式サイト
http://wwws.warnerbros.co.jp/edgeoftomorrow/
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2013年12月25日

ゼロ・グラビティ(2013)

 オーツが映画館で見た映画です。IMAX 方式の 3D でした。メガネをかけて見ました。
 その感想ですが、感覚的にいうと、ここ数十年でベストの映画です。
 オーツは元々宇宙旅行を描くSF映画が大好きです。「2001 年宇宙の旅」
2007.10.19 http://o-tsu.seesaa.net/article/61353977.html
は、生涯で見たベスト映画のように思いますが、「ゼロ・グラビティ」は、それに匹敵する映画といっても過言ではありません。
 主要登場人物は2人です。ヒューストンの基地からの「声」だけの人物を含めて3人です。
 しかし、エンドロールに流れるスタッフの数の多いこと、多いこと。かなりの人数がCG関連の仕事をしたようです。
 こんなに自然な「宇宙」を表現した映画はめったにありません。目から出た涙が球状になって宇宙船の中に浮かぶところなんか、身震いしてしまいます。これがCGの威力なんでしょうか。
 全体にロングショットの連続になっているところがまたすばらしいと思います。一つ一つのシーンが長いのです。特に冒頭。右端から宇宙船が登場し、それが次第に大きくなって、スクリーンいっぱいになり、宇宙船の影で3人の宇宙飛行士が各種作業をしているところをカメラがスパンしていきます。どうやってこんなシーンを撮影できたのでしょう。オーツはここでもうスクリーンに引き込まれてしまい、息もつかせぬ90分の宇宙体験を味わうことになりました。
 後から思い返してみれば、ストーリー的にはありえないようなところがあるのですが、そんなツッコミははじき飛ばしてしまうくらい、迫力がありました。
 音声(というか音響効果)がまた完璧です。無音がとてもうまく描かれています。
 いやはや、こういう映画に出会えた幸せを感じます。
 各種映画サイト
http://www.allcinema.net/prog/index2.php
http://www.jtnews.jp/
http://movie.walkerplus.com/
http://movies.yahoo.co.jp/
http://movie.goo.ne.jp/
でも、絶賛の嵐です。その気持ち、痛いほどよくわかります。
 上記のサイトからこの映画の予告編を見てもいいでしょう。予告編を見るだけで、どんな映画かかなりよくわかります。そして、本編を見たくなってしまいます。すばらしい予告編です。
 一つだけ欠点があります。日本語版のタイトル「ゼロ・グラビティ」は失敗です。原題「gravity」のほうがはるかにうまいタイトルです。この映画を最後まで見た人なら、全員、そう思うのではないでしょうか。日本語版のタイトルは、このすばらしいタイトルをぶちこわしにしてしまいました。残念です。
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2013年10月01日

マン・オブ・スティール(2013)

 オーツは、先日、ある人からこの映画を見るといいという推薦があったので、ユナイテッドシネマとしまえんに出かけて「マン・オブ・スティール」を見てきました。
 オーツは60歳になったので、シニア割引ということで、1500 円で見ることができます。
 今回は、「IMAX3D」版を見ました。
 IMAXというのは、簡単に言えばスクリーンが大きいということですね。実は、解像度も違っていて、普通の映画よりも細かいところまで映し出されるという話です。
 3Dは、以前も見たことがありますが、メガネをかけて見るタイプの映画で、立体感があります。
 さて、「マン・オブ・スティール」ですが、スーパーマンの映画です。1978 年のクリストファー・リーブ主演の「スーパーマン」
2011.10.14 http://o-tsu.seesaa.net/article/230342594.html
および 1981 年の「スーパーマンU 冒険篇」
2011.10.15 http://o-tsu.seesaa.net/article/230481228.html
を再編集したようなストーリーになっていました。
 何といっても SFX がスゴイのひとことです。スピード感があります。IMAXだから、スピード感を強調しても別に問題ではないのでしょう。スーパーマンの飛び回る速度が速く、かっこいいものです。
 そして、ビルなどの破壊シーンがまた強烈で、主人公も敵も人間ではないので、とんでもないファイトを繰り広げます。大きなビルが崩れてきたりもします。今の SFX は進歩しているので、こういうシーンでもリアルに描くことができます。オーツは、もちろん、ビル崩壊のリアルな体験をしたわけではないので、どんなにリアルかはわかりませんが、たぶん、ビルはこんなふうに崩壊するのだろうと思えます。
 SFX に目を奪われていると、肝心のストーリーがおろそかになってしまいそうですが、こちらもまたおもしろいものです。(ハリウッドの定番ですが)家族愛が描かれます。育ての父親が犬を救うために竜巻の犠牲になってしまうシーン(しかし、スーパーマンに「こっちに助けに来るな」と合図します。なぜそうしたかは映画を見るとわかります)などは、涙なしでは見られません。
 上演時間2時間半はちと長くて、ファイトシーンをもう少し短く編集してもらえるとよかったように感じました。繰り返し的な描写が多いようでした。映画館では始めから終わりまでトイレに行けないのですね。
 以前の「スーパーマン」よりも、表現力が圧倒的に優れています。
 ま、元々マンガですから、物理法則に反する表現、つまりツッコミどころはたくさんあります。しかし、そんなことを忘れるくらい、迫力に驚きました。
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2012年05月24日

エミリー・ブラウニング

 オーツは少し前に「エンジェル・ウォーズ」(2011)という映画
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%AB_%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%BA
http://wwws.warnerbros.co.jp/suckerpunch/index.html
http://www.youtube.com/watch?v=syYUAQVLt4I
を見ました。ストーリーは大したことないのですが、主演女優のエミリー・ブラウニングがとてもかわいらしく撮れています。こういうかわいい子が日本刀を振り回し拳銃をバンバン撃ちまくるというアクション映画です。
 エミリー・ブラウニングが他にどんな映画に出ているのかと思って、調べてみると、たとえば「スリーピング ビューティー/禁断の悦び」(2011)
http://sleeping-beauty.info/
があることがわかりました。
 このとき、オーツは「おや?」と思いました。二つの映画の主演女優が同一人物とは思えなかったからです。
 典型的な写真を示しましょう。
 まずは「エンジェル・ウォーズ」のエミリー・ブラウニングです。
http://wwws.warnerbros.co.jp/suckerpunch/images/posters/poster13_lg.jpg
http://news.walkerplus.com/2011/0423/13/photo00.html
http://blog-imgs-37-origin.fc2.com/k/a/i/kaigaiactress/201105011700349e1.jpg
http://blog-imgs-37-origin.fc2.com/k/a/i/kaigaiactress/20110501170033338.jpg
http://blog-imgs-37-origin.fc2.com/k/a/i/kaigaiactress/20110501170032ce9.jpg
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD17849/gallery/i001.html
 次は「スリーピング ビューティー/禁断の悦び」のエミリー・ブラウニングです。
http://akane212.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_N0034518_l.jpg.html
http://news.walkerplus.com/2011/1105/14/photo00.html
 どうでしょう。ほとんど別人といった感じです。目などは全然違っているように思えます。
 ついでにいえば、wikipedia に載っている写真
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Emily_Browning_HIFF_crop.jpg
も、また第3の別人といった感じです。
 メイクのなせるわざでしょうか。女性はメイクで化けますからねえ。
http://news.walkerplus.com/2011/0423/13/
で語られるように、「エンジェル・ウォーズ」でつけまつげが三重に付いているからといって、こんなにも印象が変わるものでしょうか。
 ま、役によって、それぞれ別人を演じるのが役者・俳優の仕事だとは思いますが、……。
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2012年02月20日

女優はきれいなほうがいい

 昨日のブログで、映画「スパルタカス」に出てくるジーン・シモンズのことを書きました。
2012.2.19 http://o-tsu.seesaa.net/article/253017639.html
 オーツは、自分の好みの映画=再度見るであろうと思われる映画をブルーレイに焼いて整理・保存していますが、そういう作品群を見ると、ある種の傾向があることがわかります。
 傾向の一つは、きれいな女優が出ている映画ということです。どんな女優がきれいかというと、それはオーツが録画した映画を見ればわかります。まあ、オーツにとって「いの一番」はオードリー・ヘップバーンでしょうね。イングリッド・バーグマンやグレイス・ケリーなども、(いずれも昔の作品ですが)いかにも女優らしいと思います。ぱっと見ただけで引き込まれてしまうような魅力があります。
 歳をとった女優が映画に不要だというわけではありません。男性俳優も同様です。現実社会と同じで、さまざまな人が混在している必要があります。しかし、映画をまた(何度でも)見る気にさせる要素の一つは、年取った女優や男性俳優ではなく、若くてきれいな女優というわけです。
 先日、カトリーヌ・ドヌーブ主演の「しあわせの雨傘」(2010)を見ましたが、この頃になると、カトリーヌ・ドヌーブは、66歳でしょうか、さすがに若いころ(たとえば「シェルブールの雨傘」(1964)
2007.6.18 http://o-tsu.seesaa.net/article/52563965.html
であれば、20歳です)の魅力はなく、年相応の「おばさん」になっていました。それを別の魅力だと考える人もいるでしょう。上品さはいよいよ磨きがかかっているともいえます。しかし、こういう映画を再度見るだろうかと考えると、どうも疑問に思えてきました。
 女優はきれいなほうがいい。
 オーツの結論です。
 あ、そういえば、ヒッチコックは、金髪の美人女優を起用することで有名ですが、ヒッチコックの映画がずっと人気があるのは、オーツと同様に考える人が多いという事情も関係しているのかもしれません。
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2012年02月19日

スパルタカス(1960, 1989)

 オーツが見た映画です。1960 年の映画ですが、「復元版」ということで、1989 年に再度作られています。保存してあったフィルムを修復したのでしょうか。
 この映画では、ローマ帝国における奴隷の反乱を描きます。ハリウッドの歴史劇の一つです。3時間15分ほどあり、ちょっと長い感じです。しかし、長い分だけ、主人公に感情移入しながら見ることができます。
 主人公スパルタカスを演じるのはカーク・ダグラスですが、出演当時43歳です。この役をやるにはちょっと老けた感じでしょうか。画面を見ると、髪の毛の生え際が少し薄くなっています。あと、年齢とは無関係ですが、あごのところのくぼみが目につきます。
 スパルタカスの妻役として、ジーン・シモンズが出ています。気品のある顔立ちです。ときおり、びっくりするくらいきれいに撮れています。当時31歳というわけですが、オーラが出すぎです。最初は奴隷の一員として登場します。もしも実際に、女奴隷の中にこういう人が混じっていたら、きれいすぎて目立ち、たちまち引き立てられて奴隷ではなくなりそうです。実際、映画の終盤では、豪華なドレスを着て、宝石類で飾り、ローマ貴族に愛されるシーンがありますが、ジーン・シモンズはこういうのに映えます。
 きれいな女優が出てくる映画というのは、また後で見たくなるものです。この映画もそんなものの一つです。
 ハリウッド映画のお決まりとして、全編が英語で話されます。ラテン語でないのは、当然ですね。今、客が聞いてわかることが大事なのです。吹き替えという技術があるくらいなのですから、観客のわかる言語で製作するというのでいいのでしょう。オーツは、以前は「変な話だ」と思っていましたが、最近は、「そんなものだ」と考えることにしています。日本で「スパルタカス」のような映画を作れば、出演者は全員日本語で話すでしょう。舞台で演じる場合でも同じです。
 ローマ軍の進軍シーンは、今見ても大変な迫力です。たくさんのエキストラを動員して撮影したのでしょう。当時はみんなそうやったものです。また、戦闘シーンもすごいです。腕が切られるシーンなどは、一瞬ですが、「えっ?」と思います。
 ストーリーは比較的単純です。これもハリウッド流かもしれません。誰にでもわかりやすいから万人受けするわけです。


ラベル:スパルタカス
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2012年02月06日

初恋のきた道(2000)

 中国の映画です。味わい深い映画です。
 二つの時代を描きます。
 一つは、現代で、老夫婦のうちの夫が死んで、その妻が夫の遺体を自分の村に運ぶ話です。人手で棺を担いでいきたいということです。息子が何とか母親の希望を叶えてあげようとします。
 なぜ、そんな手間のかかることをしようというのでしょうか。
 それを説明するのが、もう一つの時代、数十年も前の時代のできごとです。田舎の村に赴任してきた若い(20歳の!)男性教師のことを思う村の娘(18歳)の話です。チャン・ツィイーが着ぶくれして、男性教師を思うかわいい娘を演じます。中国の東北部が舞台でしょうか。自然がとてもきれいです。いかにも素朴な田舎が描かれます。チャン・ツィイーの着ぶくれが似合います。
 男性教師がかなり不細工なのが現実味を帯びています(失礼!)。
 ちょっといいにくい話ですが、はっきりいえば、中国のこういう田舎の村にチャン・ツィイーのようなかわいい娘がいることはほとんど考えられないのですが、ま、そこは映画ということで、納得しましょう。
 娘のいじらしさが描かれます。若い男女の恋心を描いていると思うと、納得できます。
 中国の昔の農村の生活がきちんと描かれます。そうですか、たった半世紀ほど前の話だけれど、中国の田舎はこういうところだったのですねえ。
 ナレーター役がこの夫婦の息子であるというのがまた興味深いものです。
 二つの時代が、現代がモノクロで、半世紀前がカラーで描かれます。見事です。
 こういういきさつがあったからこそ、現代において、そういう父親(小学校の教師)が死んで、その妻が嘆き悲しむわけです。そして、父親の希望を受け入れて、息子が1時間だけ学校の教師になります。その声を聞く母親の気持ちを思いやると、ここは涙が自然とこぼれます。
 こうして、この映画は、単なる恋愛映画を越えて、深い感動を与えてくれます。オーツはすっかり引き込まれてしまいました。
 この映画の中のさまざまな登場人物は、(チャン・ツィイーをのぞき)実際に中国の農村にいるかのような中国人です。村長の声、しぐさ、ひげなどは、本物の村長を借りてきたかのようです。リアルな表現です。
 本当に、中国の一側面を見るかのような気がしました。(もっとも、オーツは半世紀前の中国を知っているわけではありませんが。)
 この映画の中国語の原題は「我的父親母親」です。味わいがあります。まさに映画の内容にピッタリです。
 英語題名は「THE ROAD HOME」です。現代の老夫婦を見る視点であり、これも本質を表しています。
 これらに比べると、日本語訳「初恋のきた道」は、若かりしころに重点を置きすぎています。初恋時代も重要なテーマですが、実際には、それに劣らず、現代の(二人が歳を取った)シーンも重要なのです。日本語訳は、中国語の原題、英語の翻訳題名に比べると、イマイチです。


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2011年11月17日

SPACE BATTLESHIP ヤマト(2010)

 オーツが見た映画です。
 オーツは、SF映画が好きな方ですが、実は邦画はほとんど見ず、もっぱら洋画を見ています。ごくたまに邦画も見ますが、たいていはちゃっちい場合が多いので、がっかりする経験ばかりです。日本では、特にSFものなどは子供向けと思われているようです。
 「SPACE BATTLESHIP ヤマト」は、漫画が原作ですから、話は荒唐無稽です。実写でもどうかなと思っていたのですが、見てみたら、なかなかおもしろいと思いました。内容は、SF映画というよりは、木村拓哉と黒木メイサの恋愛映画になってしまっていましたが、それはそれでいいだろうと思います。
 「タイタニック」
2009.7.4 http://o-tsu.seesaa.net/article/122758064.html
だって、海難事故に引っ掛けた恋愛映画になっており、だからこそおもしろいと思えるのです。
 科学的な考証がきちんとしていないところがあちこちにあります。たとえば、太陽系を出発する前に、火星近辺でしょうか、最後の機会として乗組員が地球上の家族とテレビ電話で各自1分間だけ話すシーンがありますが、この辺から地球までは電波が届くのに数分〜数十分かかるので、直接の会話はできません。
 しかし、まあ、そういうことにあまりめくじらを立ててもどうかと思います。ワープが実現された世界では遠方まで瞬時に電波が届くこともあるかもしれません。
 この映画では、VFXがハリウッド並みになっていて、邦画もようやくこのレベルまで来たかといった感慨を覚えました。もう少しヤマトのスケール感があるようなカメラワークがなされるとよかったように思いますが、一応、合格点でしょう。



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2011年11月02日

ローマの休日(1953)

 オーツが何回か見た映画です。
 2003 年には、夫婦でわざわざ新宿までこの映画を見に行ったことがありました。その前にすでに見ていたように思いますが、いつが初見だったか、覚えていません。
 実にすばらしい映画です。映画の中の映画ともいうべきでしょうか。
 まず、ストーリーが秀逸です。ヨーロッパの亡国のアン王女が、毎日の退屈な日々に嫌気して、ローマの宿泊先を抜け出してしまうというところから始まります。そして、新聞記者のジョーとローマの1日を楽しむわけです。
 新聞記者のジョーが、このことを記事にするのかどうかというところも意味深長です。
 そして、最後のアン王女の会見の場になります。ジョーと新聞記者として会うことになります。実に切なくなります。アン王女はジョーに何といって声をかけるのでしょうか。
 主演のオードリー・ヘップバーンがまた見事です。こんな役は、他の誰にもできなかったのではないかと思わせます。気品があり、そのままでいかにも「王女」といった雰囲気です。各国代表との会見では、相手の言語に合わせて何ヵ国語も使い分けます。
 何回見ても楽しめる映画です。
 モノクロで撮影されていることが唯一残念なところです。時代が時代だからしかたがありませんが、そのうち技術が進歩して、カラーバージョンが出るかもしれません。



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2011年10月17日

スーパーマン4/最強の敵(1987)

 オーツが見た映画です。
 これまた、ツッコミどころ満載です。
 スーパーマンの1本の髪の毛で 450kg のおもりをぶら下げている展示物が出てきます。1本の髪の毛を、鎖の輪のようなところ2箇所に通してあるのですが、このような設置をするときは、髪の毛が丈夫であることはもちろんのこと、実はそれをくっつける接着剤がきわめて優れていなければなりません。しかし、接着剤は人間が作ったものです。1本の髪の毛というきわめて表面積の狭いものを 450kg の力で引っ張っても切れないように接着するのは、とても大変なことです。オーツは、これは不可能だと思います。スーパーマンの髪の毛は 450kg の引っ張り力に耐えられるかもしれないけれど、接着しているところがはがれてしまうはずです。
 映画の中では、その後、ある人間がヤットコのような道具でスーパーマンの髪の毛を切るのですが、何と手動です。450kg のおもりをぶら下げている1本の髪の毛(丈夫すぎます!)がこんな手動のヤットコで簡単に切れてしまうのです。これは設定と矛盾しています。ヤットコを手で動かして加えられる力は、テコの原理を活用したとしても、たかだか数十kg程度だろうと思います。
 映画の中で、スーパーマンがすべての核兵器を廃棄してしまうのですが、これは無理です。物理的にも無理ですが、政治的に無理です。アメリカは、国として核兵器を保有しているのですから、その核兵器を第三者が廃棄するならば、その第三者はアメリカの敵になってしまいます。
 また、いろいろなミサイルをまとめて捨てるとき、大きな網でひとまとめにして、太陽に投げ込むのですが、こんなことをしたら、網が破れるか、ロープが切れるかに決まっています。
 スーパーマンが普通の女性を抱えて空を飛んで、そのまま宇宙空間に飛び出すところも描かれます。こんなことをしたら、空気がないために、女性は窒息死してしまいます。あるいは、成層圏に達したあたりで、極度の低温にさらされて、体温を奪われて死ぬでしょう。
 ニュークリアマンの登場もおふざけとしか言えません。
 コミックが原作とはいえ、ちょっとおふざけの度が過ぎています。


ラベル:スーパーマン
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2011年10月16日

スーパーマンV 電子の要塞(1983)

 オーツが見た映画です。
 これまた、ツッコミどころ満載です。
 スーパーマンが口から冷たい空気を吹き出して、池の水を凍らせて、氷の端を持って全体を持ち上げるなどというシーンが出てきますが、そんなことはできません。氷全体を持ち上げるためには、その重心に上方向の力を加えなければなりません。スーパーマンの持ち上げ方では、手で持った場所から氷が割れて、それまでです。また、仮に重心に力を加えたとしても、映画中に描かれる大きさの氷では、面積が大きい割りに薄すぎて、自重に耐えきれず、やっぱり割れてしまって運べないはずです。氷全体に力を加えないと持ち上げられないはずです。
 ちなみに、池の水を凍らせるのは、火災現場に大量の水を運んで、火災を消すためなのですが、そんなめんどうなことをするくらいなら、火災現場で直接スーパーマンが冷たい息を吹きかける(水を凍らせるときのやり方ですが)方が消火効率がずっと高くて火災を消しやすいものです。火災のときに水をかけるのは、燃えているものの温度を下げるためです。わざわざ水を氷にして(その段階でエネルギーの一部が失われます)火災現場に運び、そこで氷が水になったり、水が蒸発したりして燃えているものの熱を奪うわけですが、水が効率よく全部の熱を奪うわけではありません。
 スーパーマンがピサの斜塔をまっすぐにしてしまうシーンも変です。建物の一部を1箇所だけ横方向に手で押すように力を加えると、建物が崩れてしまいます。建物は縦方向の力(重さなど)には強いですが、横方向の力には弱いものです。それに、もしも力を加えてピサの斜塔をまっすぐにしたとして、それを維持するのがむずかしいものです。再度斜めに傾くことをどうやって防ぐのでしょうか。映画ではそこが何も描かれていません。
 オリンピックらしきスポーツ大会で、ランナーがトーチで運んできた聖火を聖火台に点火しようとするとき、スーパーマンがいたずらで聖火を吹き消してしまうのですが、これもあり得ません。聖火台は、聖火が消えてしまって、着火できないことに備えて、自動着火装置がついています。だから、あんなふうにトーチを吹き消しても、係員がタイミングを合わせてスイッチを入れて火がつくようになっているのです。ランナーもそういう仕組みを知っているはずです。だから、もしも点火直前に聖火が消えてしまっても、ランナーが困った表情をするはずがないのです。
 タンカーの壁面を破り、そこから海面にもれこぼれた原油を、全部息で吹き寄せてタンカー内に戻す話も変です。原油にどのように力を加えてタンカー内に戻すのでしょうか。
 ラスボスにあたるコンピュータがひどいので、思わず笑ってしまいます。30年前ではコンピュータはこんなイメージだったのでしょうか。砂漠の中に大規模なコンピュータを設置するという話ですが、そのコンピュータの電源をどのようにして用意するのでしょうか。映画の中ではまったく触れられていませんでしたが、これは大問題です。そういう大きなコンピュータシステムが、ねじ回し一本でネジを抜くことでダウンさせられるなどというのも、笑ってしまいます。
 まあ、こんなことにケチを付けてもしかたがありません。
 SFというフィクションは、一つだけはフィクションでかまいませんが、それ以外はフィクションでなく、リアルに描くべきだと思います。さもないと、全部がフィクションになり、おもしろくも何ともなくなります。
 スーパーマンシリーズでいえば、スーパーマンが超人的な能力を持っている点はフィクションとして受け入れますが、それ以外はリアルに描いてほしいということです。たとえば、氷を持ち上げるシーンでいえば、スーパーマンに超人的な力があることで、手で何万トンかの重さを支えられることはいいのですが、その力は、スーパーマンの手から伝えられるものであってほしいと思います。そうでなければ、不思議な力で(氷にさわることなく)氷を持ち上げることができることになり、だったら、何も池まで飛んで行かずに、氷が必要な現場で「う〜ん」と念じれば、氷を運んでくることができてしまいます。いや、そもそも氷にする必要すらなく、水の状態でも運べるのではありませんか。しかし、それではストーリーとしておもしろくないでしょう。




ラベル:スーパーマン
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2011年10月15日

スーパーマンU 冒険編(1981)

 オーツが見た映画です。
 この映画では、スーパーマンと3人の悪人の対決が見物です。
 月面で宇宙服を着て作業している人間が出てきます。そこに3悪人がやってきて、作業員を殺してしまうのですが、月のシーンらしからぬところがいくつもあります。月面(宇宙空間も同様ですが)を飛ぶとき、3悪人の衣服がはためいています。月には空気がないので、衣服が空気ではためくことはありません。さらに、3悪人が相互に話をするシーンが出てきます。話し声も映画中に使われ、観客の耳にはっきり聞こえます。でも、月には空気がないので、音声(空気の振動)は他人の耳に届きません。つまり月では話ができないし、通じないのです。マイクを置いても録音はできません。ま、映画が地球上で撮影されたということですね(当たり前ですが)。
 何よりも楽しめないのは、スーパーマンが普通の人間になってしまうところです。スーパーマンが強くなかったら、おもしろくも何ともありません。
 それに加えて、北極近くにあるというスーパーマンの家にロイス・レーンを連れて行くところも変です。行きは、スーパーマンとして空を飛んでいくからあっという間に着いてしまっていいですが、そこで普通の人間になったら、どうやって、メトロポリスあたりに戻ってこられるのでしょうか。事前にヘリコプターとかの移動手段を用意しておかなければ、凍死してしまいそうです。
 そして、この映画の最大の謎は、一度、スーパーマンとしての特殊能力を失ったら、もう元には戻れない(映画中でスーパーマンの母親がそういっていた)のに、映画の中ではスーパーマンが復活してしまうのです。なぜまた超能力が身に付くのでしょうか。どうやったのでしょうか。そんなに都合よくスーパーマンと普通の人とで行き来できるなら、一大決心して人間になる必要もなく、人間になってダメだったら、またスーパーマンに戻ればいいので、「ちょっとお試しに人間の生活を」というような感じになるかと思います。




ラベル:スーパーマン
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2011年10月14日

スーパーマン(1978)

 オーツが見た映画です。
 スーパーマンには、空を飛ぶことなど、人間が持っていない特殊能力があります。それだけで夢があります。どんなことになるのか、見てみたいといいう好奇心がわき上がります。
 空を飛ぶシーンはよくできています。しかし、恋人(ロイス・レーン)と一緒に飛ぶシーンは、ちょっとどうでしょうか。ロイスは、人間ですから、飛ぶ力はありません。すると、スーパーマンが抱きかかえて一緒に飛ぶことはできても、二人が手をつないで(指先だけを接触させて)、ロイスが両腕を広げた形で空中を飛んでいくのはとてもむずかしいことです。映画中にはそんなシーンが出てきます。ロイスがあるスピードで飛び続けるためには、空気の抵抗がありますから、スーパーマンの手から前方向への力をもらうしかありません。さもないとスピードが維持できなくなります。さて、左手の指先だけから体を前方向に押す力をもらうと、体の重心の左側だけに前方向の力が加わる形になり、重心を中心として体が右方向(時計回り)に回転してしまうはずです。映画ではこうなりませんが、これはおかしいと思います。
 二人で雲の上を飛びます。ということは、高度 3000 メートルくらいを飛ぶことになるのでしょう。あの雲の形から考えてそれより低いところにできる雲ではありません。このくらいになると、気温は相当に低くなりますし、その中を移動するのですから、風を受けることになり、地上にいるときのようなドレス姿では、寒すぎると思います。ロイスは凍えなかったのでしょうか。ニコニコしている場合ではありません。
 スーパーマンの真っ赤なマントですが、これは空気ではためくものでしょうか。それとも、自分ではためかせているものでしょうか。常識では、空気ではためくもののように思えます。しかし、宇宙空間(空気がないところ)を飛ぶ場合でも、マントがはためいています。また、スーパーマンが低空をゆっくり飛ぶときでも、高速で飛ぶときでも、マントの動き方はあまり変わりません。高速で飛ぶと、マントにあたる空気の力が強くなり、激しくはためくようになるはずです。さらにいうと、ロケット並みのスピードで飛ぶ場合、空気との摩擦が起こり、マントがちぎれてしまうのではないかと思いますが、そんな心配はいらないのでしょうか。
 ま、映画ですから、こんなツッコミを入れてもおもしろくありませんが、オーツはどうも気になります。
 スーパーマンは超人的な力を持っていてもいいけれど、その周りは普通の世界であってほしいと思います。だからこそ超人的な力が発揮されるわけです。
 この映画の中では、スーパーマンがさまざまな形で人々を救うシーンが出てきます。こういうのを見ると、とても気分が爽快です。へえ、こんなこともできるんだという感じです。
 しかし、この映画では、最後の最後で裏切られた気分になります。ロイス・レーンが乗るクルマが地割れに飲み込まれてしまい、彼女は死んでしまうのですが、彼女を救うことができなかったということで、スーパーマンが地球の周りを高速で飛び周り、時間を後戻りさせてしまうのです。そして、クルマの事故の直前まで時間を戻して、そこからふたたび通常の時間が流れていきます。もちろん、こんな高速移動をしたからといって、時間の流れを変えることはできませんが、仮に変えられたとすると、一種のタイムマシンが実現したことになります。映画ですから、タイムマシンがあってもいいですが、こうすることで、すべてがリセットされてしまいます。つまり、スーパーマンが活躍してさまざまな人を救ったことなどのすべてを自分で否定してしまったことと同じことになります。こういう「落ち」は、好ましくありません。映画で描いてきたことを全部否定したら、一体、何が残るのでしょうか。オーツは、この「落ち」にはどうしても納得できません。
 クリストファー・リーブはスーパーマン向けの俳優で、クラーク・ケントとの二役を巧みに使い分けています。その意味では(つまりコミカルだという意味で)おもしろい映画です。




ラベル:スーパーマン
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2011年09月30日

エアフォース・ワン(1997)

 オーツが見たアクション映画です。ハリソン・フォードがアメリカ合衆国の大統領に扮しています。
 主役のハリソン・フォードは、大統領としての貫禄はないですが、アクション映画だけに、あちこちで大活躍です。
 エアフォース・ワンといえば、アメリカ合衆国大統領の専用機です。ジャンボ・ジェットを改造したもののようですが、こんな飛行機が本当にあるのですね。
 エアフォース・ワンがテロリストに乗っ取られるというありえないストーリーですが、ハイジャックが始まってからは、息もつかせずストーリーが進行し、最後まであっという間に進んでしまいます。
 まあ、いくら機内の人間から手引きがあったからといって、こんなに簡単に大統領専用機のハイジャックができるものでしょうか。銃器類を奪ってハイジャックというのが安易なように思いました。そんな手引きをする人が大統領の側近にいるわけないですし、……。
 エアフォース・ワンに対して、アメリカ空軍の戦闘機がミサイルを発射するなどというシーンもあり、驚きます。大統領が乗っている飛行機に向かってミサイルを発射するのですよ。普通はなかなかできません。しかし、命令されたらそのまま素直に実行するのが真の兵士というものです。
 また、最後まで、マーシャル大統領が家族優先を貫きますが、ここは鼻白む気がしました。大統領の職務に忠実ならば、いざとなったときに、家族を選ぶか、アメリカ国民を選ぶかとなったら、アメリカ国民を選ぶのではないでしょうか。そして、アメリカ国民全員に対して責任がある大統領は、何よりも自分自身を大切にしなければなりません。こんなときに自分よりも家族を優先するような大統領だったら、アメリカ人としては、「任せておけない」気になるでしょう。このあたりはハリウッドのおかしな先入観(もしかしたらアメリカ人の神話?)が入っているように思います。多くの映画でそんなシーンがあります。
 この映画もいろいろとツッコミどころ満載です。しかし、内容がおもしろいので、いいとしましょう。最後の最後までハラハラが続きます。



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2010年10月28日

スター・ウォーズ エピソード6 ジェダイの帰還(1983,1997)

 オーツが見た映画です。
 いかにも派手です。
 全6作の総まとめに当たるもので、見どころ満載です。
 一番の見どころは、新しく建設途中のデス・スターの中にミレニアム・ファルコンを初めとする数機の宇宙船が飛び込んで、狭い通路を通り抜けて、デス・スターの中心にあるリアクターを破壊・爆発させるところでしょう。SFXがすばらしく、何度見ても画面に引き込まれてしまいます。
 初代のデス・スターもそうですが、なぜ、こんな太い通路のような空間を設けるのでしょうか。オーツは意味がわかりません。地上の構造物なら、排気口か廃熱口かと思いますが、宇宙空間では空気が存在しないので、そんなものを設けることは無意味です。むしろ、空気のない真空状態が構造物の中に存在するわけで、空気で満たされ人間が居住する空間と真空空間とを区切るために、めんどうで複雑な設計が必要になります。
 ミレニアム・ファルコンがリアクターを爆発させたあとは、その爆風が迫るのを振り切りながら、もとの狭い通路を通り抜けて宇宙空間へと逃げ切ります。逃げ遅れた敵の戦闘機は爆風に巻き込まれてしまいます。
 ここもまたすごいSFXですが、考えてみると変なところです。
 デス・スターの中心部で爆発が起きたとき、それが表面まで伝わるのはどういう仕組みによってでしょうか。爆風でしょうか。空気があるところなら、それも理解できますが、真空状態で、順次、爆発(瞬間的燃焼)が連鎖していくでしょうか。
 中心部のリアクターだけが爆発し、その爆風が通路を伝わって外に進んでいるだけで、他の構造物は爆発していないのかもしれません。だとしたら、デス・スター全体が大爆発するのはなぜでしょうか。
 そんなことを考えていたら、そもそも「爆風」などというものが真空状態であり得るのかと疑問に思いました。地上のような空気で満たされているところでは、爆発があると、爆風がともなうわけですが、真空状態では、酸素がないので、「爆発」がそもそも起こりにくいし、起こったとしても、それが連鎖していくことはないと思います。
 宇宙空間にあるデス・スターの大爆発は、そもそもありえないのではないでしょうか。

 キャリー・フィッシャー(当時27歳)は、前2作に比べるとずいぶんと年を取った感じです。初めのほうに出てくる露出度の高いコスチューム姿は似合いません。エピソード4から考えるとたった6年しか経っていませんが、女優の若さは長続きしないものです。



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2010年09月14日

スター・ウォーズ エピソード5 帝国の逆襲(1980,1997)

 オーツが見た映画です。
 エピソード4は、「ウォーズ」(戦争)といっても、あまり戦闘シーンは多くなかったのですが、エピソード5からは戦闘シーンが多くなります。
 反乱軍の宇宙船ミレニアム・ファルコンが小惑星群をかいくぐって逃走するところなど、多数のさまざまな物体がそれぞれに動いており、それを一つのシーンとして合成するあたり、画面としてなかなか見応えがあります。SFX技術の進歩を感じさせます。
 そして、ミレニアム・ファルコンは小惑星の中の一つの穴に逃げ込んで姿を隠すのですが、実は、ここは穴ではなく、巨大な動物の胃袋だったということになります。これはおかしいですね。この動物、普段は一体どのようにして食料を確保しているのでしょうか。あの大きな図体を維持するためには相当量の食料が必要だと思いますが、小惑星として宇宙空間をただよっていたら、食料が見つかる可能性はほとんどないと思われます。どうやって生きているのでしょう。
 それにしても、映画に出てくる宇宙船の出入り口がとても簡単な構造になっている点が気になります。ミレニアム・ファルコンも、帝国軍の宇宙船も、すうっとドアが開いて人が出入りするわけです。こんな簡単で大きな出入り口を設けたら、宇宙空間ではそこを通って宇宙船内部の空気が漏れ出てしまいそうです。反乱軍の戦闘機などは、まるで地球上のジェット戦闘機のようです。出入り口は、操縦席を覆うような1枚の透明な板です。強化プラスチック製でしょうか。こんな簡単な構造で、宇宙空間で空気が漏れないのでしょうか。何かの破片が板にぶつかっただけで、穴が空いて、中の人が死ぬような構造です。
 沼に沈んでしまった戦闘機(宇宙船)を引き上げると、そのまま宇宙空間を飛んでいけるようになっています。普通は、このレベルの高度な乗り物では、さまざまなところに水が入り込んでしまったら、整備が大変で、まず飛行は無理だと思います。
 ま、こういうツッコミどころをいちいち指摘するのはヤボなのでしょうね。そういうことは気にしないで映画を楽しみましょう。
 キャリー・フィッシャー(当時24歳)は落ち着きが出てきて、適役です。


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2010年08月25日

スター・ウォーズ エピソード4 新たなる希望(1977,1997)

 オーツが見た映画です。
 1977 年に作られたものですが、1997 年に「特別編」としてリニューアルされ、いくつかのシーンが追加されたりしました。先日の NHK BS Hi で放映されたのは、この特別編でした。そもそもタイトルからして「スター・ウォーズ エピソード4 新たなる希望」というのは最近のもので、もともとは「スター・ウォーズ」だけでした。(しかし、NHK の番組表では製作年が 1977 年となっていました。)
 はじめて映画館のスクリーンで見たときの衝撃を思い出します。
 最初のシーンで、ブロッケード・ランナーを追いかけていく帝国軍の戦艦の大きさは、何とも度肝を抜かれました。つかみとしては、これ以上のものはないでしょう。しかも、この戦艦が小さく見えてしまうようなデス・スターの巨大さ。なかなかよく描けています。
 とはいえ、例によってツッコミどころ満載の映画です。遠くにある救命艇の中に生命反応があるかどうかわかるという設定なのに、デス・スターにとらえられ、内部に収納された宇宙船の床下(薄い板1枚で区切られています)に隠れている3人+1匹を検知できないなんてあり得ません。
 このシリーズ全体に当てはまるのですが、宇宙空間における宇宙船の重力描写は奇妙すぎます。宇宙船の中では、普通に重力があるような動きをしています。しかし、宇宙船外では、無重力のようです。では、デス・スターに宇宙船が入っていくシーンは? 無重力状態から重力のある状態までどういうタイミングで変わっていくのでしょうか。映画を見てもよくわかりません。
 宇宙船の中では、爆発などがあるので、普通に空気が満たされている(少なくとも酸素が存在する)ようですが、宇宙空間にはもちろん空気は存在しません。その両方を行き来するとき、両者をきちんと区切っておかないと、宇宙船内の空気が外に逃げ出してしまうように思いますが、このあたりもいいかげんな描写です。
 ま、こんなことはうるさく言わずにお話を楽しむべきなのでしょうね。
 キャリー・フィッシャー(当時21歳)はとても若くて華やかな感じで、王女役にはピッタリです。



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2010年08月02日

スター・ウォーズ エピソード3 シスの復讐(2005)

 オーツが見た映画です。
 おもしろいと思いました。いかにしてダース・ベイダーが誕生するかがきちんと描けています。
 他の作品(特に旧三部作)を見てからこれを見ると特に興味深いでしょう。
 しかし、ストーリーは破天荒だし、ありえないシーンが連続します。アナキン・スカイウォーカーが暗黒面に落ちて行くには理由が今ひとつです。パドメ・アミダラを救うためとかいいつつ、結局は死なせてしまうわけですから、何とも合点がいきません。
 例によって、宇宙船同士の戦いのシーンなどは大迫力です。今の SFX 技術の粋を集めているといった感じでしょうか。それに比べると、旧三部作などはまだまだシンプルでした。
 しかし、宇宙空間での宇宙船の飛び方には違和感があります。宇宙空間には大気はないはずなのに、宇宙船に翼があって、あたかも大気があるかのような(ちょうどジェット戦闘機のような)動き方をしているのです。翼のフラップを動かして進む方向を変えているかのようです。地上ならばこういう描き方でいいですが、宇宙空間ではありえないでしょう。
 まあ、そんなことを言っていたら、宇宙船の近くをすいすいと障害物をよけて飛び回ることなどはできなくなりますから、迫力がなくなってしまいます。
 もう一ついうならば、宇宙空間での爆発の問題があります。宇宙船が攻撃を受けて爆発すると、破片が周囲に一斉に飛び散ります。これは大変危険なもので、その破片が他の宇宙船にぶつかると、かなりの損傷になります。地上では、重力があって、そういうものは全部地表に落ちるので、あまり心配する必要はないのですが、宇宙空間では「落ちる」ことがないので、大変なのです。
 それに加えて、宇宙船が無重力の宇宙空間を飛んでいって、他の大型宇宙船の中に入ると、そこにはあたかも重力があるような動きになります。このあたり、オーツは気になってしかたがありません。
 ま、こんなことを考えずに、映画を楽しむべきでしょうね。
 ナタリー・ポートマンは、前2作に比べるとずいぶんと年を取った感じです。第1作から考えるとたった6年しか経っていませんが、女優の若さは長続きしないものです。恐い話です。


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2010年07月26日

スター・ウォーズ エピソード2 クローンの攻撃(2002)

 オーツが見た映画です。
 エピソード1
2010.7.20 http://o-tsu.seesaa.net/article/156864168.html
から10年後の世界を描きます。
 今回は、「スター・ウォーズ」というよりも恋愛映画的な側面が強くなっています。しかし、これは、全6作のストーリーの流れからいえばしかたがないでしょう。
 超有名な映画ですから、ストーリーなどはよく知られていると思います。
 SFXを多用したその映像美と迫力には圧倒されます。
 この映画でちょっとオーツが引っかかったところを書いておきましょう。
 第1に、アナキンがドゥークー伯爵と戦い、右腕を切り落とされてしまうところです。その後、恋人の女性・アミダラが駆け寄ってきますが、切り落とされた腕にはほとんど何も関心を示さず、二人で抱き合っています。この世界では腕1本がなくなっても、あまり興味を引かないということなのでしょうか。その後、しばらくしてアナキンは人工義肢を装着し、アミダラと手を握りあったりするわけで、この世界では腕1本がなくてもどうということはなさそうです。しかし、生身の人間ならば、相当に痛いし、多量の出血もともなうはずなので、恋人と抱き合ったりしている余裕はないと思うのですが、……。
 第2に、ライト・セイバーという光る剣です。ライト・セイバーは、使わないときは懐中電灯状のものになっていて、スイッチを入れると1メートルくらいの「剣」が伸びてくるしくみです。全6作とも登場するジェダイの武器ですが、実に奇妙な剣なのです。切れ味抜群で、何でも切り裂くことができるようです。たとえば、この映画の中では金属製のケーブルを一瞬で切ってしまっています。しかし、ライト・セイバーは、見た目には太い棒のような感じです。すると、剣や刀のような鋭い刃で切っているわけではありません。どういう原理で他のものが切れるのか、よくわかりません。熱(あるいはエネルギー)でしょうか。
 ところで、ライト・セイバーは、硬いのでしょうか、柔らかいのでしょうか。ライト・セイバーの刃の部分がエネルギーの集合体(だから光っている)と考えると、柔らかいもののように思います。「切る」動作は、ライト・セイバーの手元から伸びるエネルギー線が対象物にぶつかって熱か何かを伝え、対象物を切っているように思えます。しかし、そうすると、ライト・セイバー同士がぶつかった場合、お互いがお互いを止められず、すり抜けてしまうことになります。映画では、「剣」か「刀」のように、相手のライト・セイバーの動きを自分のライト・セイバーで受け止められるようになっているのですが、これは不思議です。ライト・セイバーが硬いものであると考えると、このような動きは理解できますが、今度は「切る」原理がいよいよわからなくなります。
 それに、映画中にでてくるライト・セイバーでは、根本的な欠陥があります。相手のライト・セイバーの攻撃をライト・セイバーで食い止めることができるのですが、だとしたら、ライト・セイバー同士が切り結んだときに、そのまま下(相手の手元)方向に移動させれば、ライト・セイバーには「鍔:ツバ」がないのですから、相手の手が簡単に切れそうです。そういうシーンは1回も出てきませんが、なぜそういう簡単な攻撃をしないのでしょうか。
 他にも、ツッコミどころ満載ですが、ヘソ出しルックでがんばっているナタリー・ポートマンを見るだけでも価値があります。この映画はそのうち再度見るでしょう。


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2010年07月20日

スター・ウォーズ エピソード1 ファントム・メナス(1999)

 オーツの見た映画です。今までにも何回か見たことがあるのですが、最近、NHKのBSハイビジョンで放映されていたので、また見てしまいました。
 結論からいうと、この映画はあまりおもしろくありません。
 スター・ウォーズの旧3部作は映画館で見たのですが、それぞれ、大変な迫力があり、その時代のSF映画と比べて、大幅に進歩している感覚がありました。
 しかし、エピソード1は、残念ながらスター・ウォーズシリーズとしては一番の駄作でしょう。
 まず、ジャー・ジャー・ビンクスという道化役(?)が失敗しています。全編にわたって出てきますが、うるさいだけです。
 他にも、ワトーなどCGで登場する人物(人間ではないので「動物」というべきかもしれませんが、英語を話しているので、ここでは「人物」としておきます)がたくさんいますが、それぞれよく作られているとは思うものの、やはり「作り物」感は否めません。まるで、ゲームかアニメを見ているような感覚でした。
 次に、主人公のアナキン・スカイウォーカーがイマイチです。こんな小さい子供を主人公として使ってしまうと、どうしても、その年齢の子供をターゲットにしている映画ということになります。つまり子供向けの映画なのです。
 スター・ウォーズシリーズでは、ライト・セーバーが活躍するわけですが、この映画でも、ご多分に漏れず振り回されます。しかし、日本の(昔の)洗練されたチャンバラ映画や、香港や中国のカンフー映画(で剣が使われるもの)を見ている人間にしてみれば、殺陣のお粗末さが目につきます。スピード感にしても、これではダメです。俳優も監督も、日本のチャンバラ映画のマネをしているのではないでしょうか。それでは、チャンバラ映画を越えることはできません。
 見どころのあるシーンといえば、ポッドレースでしょう。これは、特にぶつかってクラッシュするポッドの描き方などで、驚きました。
 この映画では、ありえないシーンはいくらでもあります。アナキンが間違ってスイッチを押して、宇宙船が宇宙へ飛び出してしまうなどというのはいくら何でもやりすぎでしょう。宇宙船の着陸シーンでも、ほとんど時間をかけずに、スイッと着陸してしまいます。ポッドレースの場面では、ちょっとくらい乗り物が互いにぶつかった程度では、レースが続行されます。でも、映画で描かれているスピードでは、ちょっとぶつかっただけでも大事故になるものと思われます。まあ、しかし、こんなことにめくじらを立ててはいけません。気軽に映画を楽しみましょう。
 中心人物の一人、ナタリー・ポートマンはきれいに撮れています。このころ18歳ですか。すばらしい。


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