2017年12月03日

昔の自宅の風呂(1)

 オーツは、自宅の風呂に浸かってゆっくりしました。寒くなってくると、温かい風呂にのんびり浸かっていることが本当に気持ちのいいことになってきます。湯船の中でのんびりしていたら、昔、オーツが自宅でどんな風呂に入っていたかを思い出していました。
 ちょっと時代・年齢とともに、メモしておきましょう。
 オーツが幼稚園に通っていたころ(いやその少し前でしょうか)、今から60年も前の話ですが、そのころには自宅(オーツの父親の所有)には風呂がありませんでした。しかし、それは当時の普通の住宅でした。回りの家々を見ても、風呂がある家はごく一部でした。
 オーツの親戚の1軒で、畑の真ん中に住んでいる家がありましたが、その家には風呂がありました。その風呂はだだっ広い土間の一角に丸い木の風呂桶が置いてあるスタイルでした。湯気が室内にこもらないようになっていましたが、それはつまり外気が自由に出入りするようになっているわけで、寒い時期は身体を洗うのが大変でした。
 そんなわけで、当時(60年前)市街地から外の田園地帯に行くと住宅に風呂がありましたが、市街地では風呂がないのが普通でした。
 オーツは、当時、父親と母親と3人で暮らしていましたが、風呂に入るときは、父親の会社の風呂に行っていました。その会社は曙ブレーキ工業といって、今でも埼玉県羽生市にありますが、もうたくさんの人が働いている工場はなくなり、現在は研究所になっています。昔は、大きな工場があり、会社の敷地内には女子寮があり、たくさんの若い人が働いていました。男子寮もあったように思いますが、記憶は定かではありません。風呂も銭湯などとは比べものにならないくらい大きなものがあり、それを寮生たちが使っていたわけです。会社は、その風呂を従業員の家族にも開放していました。福利厚生の一環という考え方なのでしょう。そのころは風呂のない住宅に住んでいる人も多かったので、銭湯代を節約する意味もあったのでしょう。
 そのころの従業員は、会社の外に住んでいても、実際上、徒歩で通える範囲に住むのが普通でした。クルマなんて持っている人はいなかったし、バイクや自転車で通うのも(雨の日は)大変だし、バスなどの公共交通もなかったのです。当時は地価が安かったのでしょう。オーツの近所の家々を見渡しても、それぞれのご主人たちが曙ブレーキに勤めていました。
 そんなわけで、オーツの家では、母親とオーツが近所の人たちと連れだって夜道を歩いて曙ブレーキまで行き、そこの文字通りの大浴場を使っていたというわけです。オーツはいつも母親と一緒に風呂を使っていました。女風呂に入っていたわけです。男用の風呂があったのか、よく覚えていません。オーツの父親は、会社で風呂に入ってから帰宅していたように思うので、男用の風呂もあったのでしょう。
 曙ブレーキの風呂は、本当に大きな風呂で(いや、オーツが小さかったので大きく感じられただけかもしれません)、真ん中に湯船があり、回りが洗い場になっていました。オーツがそこを走り回っていたら、滑って転んで後頭部を打ちました。そばにいた母親や近所の人が大変心配してくれたのですが、不思議と頭の痛みはありませんでした。こんな事件があったので、60年後でも覚えているわけです。

 ちょっと長くなってきたので、続きはまた明日。
posted by オーツ at 04:54| Comment(0) | 日常生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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