2017年01月21日

井上章一(2015.9)『京都ぎらい』(朝日新書)朝日新聞出版

 オーツが読んだ本です。
 著者の井上氏は京都が嫌いだというのです。どんなところが? くわしくは本書を読む必要があります。
 1「洛外を生きる」では、井上氏の出身地の嵯峨、また長らく居住している宇治は京都ではない、少なくとも、京都の中心部に住んでいる人たちから見たら、田舎であるという話です。そして、京都の(中心部の)人たちには田舎の人を見下す傾向があることが語られます。
 この章を読んで、オーツはその昔、京都の住民にいろいろ聞いた話を思い出しました。その人は、西京区に住んでいたのですが、その前は京都の中心部に住んでいたとのことです。そして、西京区の新興住宅地に移り住んできたわけですが、「ここは京都ではない」というのが持論でした。日常のさまざまなことで京都ではないことを思い知らされるということでした。オーツが聞いた話の詳細をここに書くことはできませんが、井上氏の論調と一致しています。
 2「お坊さんと舞子さん」では、京都のお坊さんは袈裟姿で市内の繁華街で飲み歩くという話です。京都でお坊さんと舞子さんがどんなものとして意識されているかを語っています。
 3「仏教のある側面」では、仏教寺院の拝観料に京都市が税金をかけようとしたことを取り上げ、結局、その話は流れた(税金は取れなかった)ということになりました。その顛末を語っています。
 4「歴史のなかから、見えること」では、京都の歴史のいくつかの側面を描いています。江戸幕府やら「銀座」の地名やら、話はあちこちに及びます。しかし、京都の人の歴史好きという面はかなり強いようです。
 5「平安京の副都心」では、京都の中のいくつかの地域について、どんなものと考えられてるかが語られます。
 全体として、とてもおもしろい本でした。普通の感覚の京都論とは異なり、新しい視点を提示してくれます。歴史や伝統があることはいいことですが、同時にそこに生きる人々をそれらが束縛し拘束するような面もあるようです。
 この本の記述は、何かの資料に基づいているというよりは、著者個人の体験に根ざした話なのですが、それだけに新鮮な感覚で読むことができました。まあ、オーツのように関東生まれ、関東育ち(著者の井上氏よりもはるかにはるかに田舎育ち)の人間が理解できるようなことではないとは思いますが、……。


posted by オーツ at 05:21| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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