2016年09月04日

施光恒(2015.7)『英語化は愚民化』(集英社新書)集英社

 オーツが読んだ本です。「日本の国力が地に落ちる」という副題が付いています。
 日本であちこちの会社や組織で英語を使おうというような傾向があります。日本の公用語を英語にするというのは極端な主張ですが、そこまでは主張しないまでも、全員が英語を学ぶべきだという声にはけっこう強いものがあります。
 本書は、そのような全員必修で英語が使えるようになろうということは根本的に間違いだとしています。
 なぜか。
 すでにその先例があるからです。ヨーロッパにおけるラテン語です。ヨーロッパでは、聖書もラテン語で書かれ、学問をする人はラテン語で書かれた文献を読むことが当然とされていたわけです。その結果どうなったかといえば、多くの人々(民衆全般)と学問の世界やキリスト教の教会の間に壁が存在するようになってしまい、民衆が学問や宗教の神髄に迫ることはできなくなってしまったわけです。ラテン語を使うことをやめ、フランス語やドイツ語など自国語(著者の言い方によれば「土着語」)を使うことによって、その壁は崩されました。今、各国語で学問ができるようになったのは、先人たちのラテン語からの翻訳という膨大な努力のおかげです。
 日本語も同じです。明治の先達は、非常な努力をして和製漢語を作り、それを用いて英独仏の文献から翻訳を行い、そうやって日本語を学問のできる言語にしてきたわけです。自国語で大学教育まで受けられるということは、何と幸せなことでしょう。
 しかし、ここで英語を用いて学問をするようなことになると、昔のラテン語の復活と同じことになります。
 大学教育を英語で行うというようなことは、安易に導入するべきことではないということになります。
 オーツは、大きな言語問題が裏に隠されていることを指摘され、そうだったのかと改めてこの問題を考えてみたくなりました。
 そういう意味でも、本書は良書だと思います。
 著者は台湾系の人(祖父が台湾から日本へ移住)ですが、そういう人が日本語論を展開しているところがおもしろいと思いました。
 著者の専門は政治学ですが、言語の研究(社会言語学など)にも通じるものがあるように思いました。


posted by オーツ at 05:00| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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