昔ながらの家から家に回していく方式で、地域の行事とか、町内会の予算・決算とか、防災の日の案内とかが回ってきます。
オーツは、ずいぶん古くさい無駄なことをしているなあと感じていました。こんなことは、メールアドレスを登録しておいて、一斉にメールで配信するようにすれば、間違いなくスピーディーに各家庭に知らせることができます。
しかし、最近は、そうでもないように考えるようになってきました。
家から家への回覧板だと、もしも、一家が死んでいた場合、回覧板が回らなくなり、異変に気がつかれるという意味があります。
都会では、近所づきあいなどは薄くなっていますので、何日も外に出ることがなくても、誰も気にしないでしょう。ということは、何かの事故や事件で、(オーツの場合でいえば夫婦ともに)死ぬようなことがあっても誰も気がつかないということになります。
まあ、今であれば、近くに住む息子たちが気がつくだろうし、オーツも妻も仕事を持っているので、勤務先で気がつかれると思いますが、退職後、さらには息子たちが離れて住むようになれば、誰にも気がつかれずに数ヶ月経ってしまうようなこともあるでしょう。ご近所の家々に住む人の場合も同様でしょう。
回覧板は、一家が死んでいることを発見する意味があるというわけです。そんな意味があるとは誰も教えてくれないので、オーツが気がつくまで時間がかなりかかりました。自分が年をとってみないと気がつかないことなのかもしれません。
ラベル:回覧板