2015年05月17日

橘木俊詔(2015.1)『経済学部タチバナキ教授が見たニッポンの大学教授と大学生』東洋経済新報社

 オーツが読んだ本です。
 本書をひとことでいえば、大学論ということになりますが、おもしろいのは、大学の中から見た大学教授と大学生の実像を描いていることです。オーツも40年前は大学生でしたし、その後も大学をあれこれ見てきましたので、共感することが多い記述でした。
 第1章「大学教授ほど気楽な商売はない」では、大学教授の仕事ぶりを描いています。生涯に2本しか論文を書かなかった教授がいるとかいう話ははじめて聞きました。研究も教育もしない大学教授というものはいるものなんですね。私学の教育負担が重く、国立に人とカネが集まるというのはその通りでしょう。しかし、それを変えることはきわめて困難です。各自が与えられた条件の中で最善を尽くすしかないでしょう。
 それに関連して、思い出したことがあります。オーツの知り合いの某大学教授に聞いた話ですが、その人は、某国立有名大学の教授たちの研究業績の審査を行ったそうです。最近はやりの大学評価の一環のようでした。ところが、個人別研究業績一覧を見たところ、それこそピンからキリまでものすごい差があったという話です。有名大学でこれですから、非有名大学では、一体どんな人が教授を務めているのか、わかったものではありません。
 第2章「揺れる学問の自由、広がる格差」では、大学進学率が 50% にまで拡大してしまったことで、大学の性質が変わってしまったことを述べています。そして、その結果、大学が評価される時代になり、日本もアメリカ的な大学になりつつあるというわけです。日本でも、研究と教育が機能分化しつつあり、研究(を中心とする)大学と教育(を中心とする)大学に分かれるのかもしれません。大学のあり方はどうあるべきか、考えさせられます。(もちろん、簡単に結論が出る問題ではありませんが。)
 第3章「紀要、教科書、非常勤――知られざる“大学偽装”のカラクリ」では、今の大学の問題点として3つをあげています。紀要に書かれたものは論文ではない、教科書を書くことは研究ではない、非常勤講師は安い給料で大学を支える存在になっているというようなことです。オーツも同感です。問題は、ではどうするかということです。解決は一朝一夕には進まないように思います。大学が何十年もかけて今の姿になってきたわけですから、そんなに簡単に変化するはずがありません。ここがむずかしいところです。オーツも解決策を持ち合わせていません。
 第4章「日本の大学生が勉強しない本当の理由」では、(就職活動において)企業が学生の成績などを見ていないことを指摘しています。企業の人事担当者との面接で聞かれることも、クラブ活動やサークル活動の経験だったり、アルバイトの話だったりします。であれば、学生もそういう活動に努力することになるのであって、勉学に励む方針はとらないものです。しかし、学生のこういうありかたはおかしいわけで、何とか変えていかないといけません。
 第5章「全入時代で大学はどう生き抜くべきか」は著者の改革案の提示です。内容は省略します。
 全体として、今の大学の問題を鋭くついています。大学論としてもおもしろいものです。大学関係者は一読の価値があるように思います。
 なお、巻末の参考文献には、著者の書いたものが11冊挙がっています。全部大学論に関するものです。著者がこんなにたくさん大学論を書いていたというのは驚きです。本職は「経済学」なのですから。


posted by オーツ at 02:59| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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