「惜敗」ということばがあります。「惜しくも負ける」ことです。オーツの場合、これは理解語であって、使用語ではありません。つまり、自分から使うことばではないということです。
実は、ずっと昔から、「惜敗」が「せきはい」なのか「しゃくはい」なのか、わからないのです。この語には両方の読み方があるような感覚です。
辞書を引くと、「せきはい」が正しく、「しゃくはい」という読みがないことは簡単に確認できます。ところが、こうやって覚えても、すぐに忘れてしまい、次の機会にまた同じ迷いが生じるのです。今まで何十回も繰り返してきました。こういう迷いがある以上、この語を自分から口にすることはありません。
オーツの場合、こういう迷いがあるのは、この語だけです。
なぜ「しゃくはい」などという間違った読み方を覚えてしまったのでしょうか。
「惜」を「しゃく」と読むのは呉音ですが、そう読む例はあるのでしょうか。辞書を見ると、不惜身命(ふしゃくしんみょう)くらいしかなさそうです。「しゃくはい」という同音異義語があるわけでもないようです。
ということで、どこから「しゃくはい」が入り込んだのか、まったくわかりません。
オーツが高校生か中学生のころから迷い続けている、不思議な単語です。
あ、こんなことを書きながら、ふと思いました。パソコンで打つときには、このことばを使うかもしれません。「しゃくはい」と入れて変換しようにも変換できないので、「せきはい」と入れるしかありません。
この単語は、オーツにとって、使用語と理解語の境界線上のことばなのかもしれません。
2013年09月01日
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