2012年07月04日

クリストフ・シャブテ(2010.12)『ひとりぼっち』国書刊行会

 オーツが読んだ本です。
 実は漫画です。フランス語からの翻訳物です。
 オーツは、普段漫画をほとんど読まないのですが、とある若い人がオーツに貸してくれました。
 1人の男(名前は「ひとりぼっち」)が燈台(灯台)にずっと暮らしているという話です。島ともいえないような岩にりっぱな燈台があって、その中に50年も住んでいるという設定です。そして、ある船長が、毎週1回の配給を請け負っていて、もう15年も続けているというわけです。配給品は、食料と薬と釣り針だとのことです。
 この男の娯楽(?)が、辞書を放り投げて、開いたページのどこかを、目を閉じて指さして、その単語の語釈を読みながら妄想に耽るということです。
 最後には、この男が船で燈台を出ていくところで漫画は終わります。
 オーツは、このマンガを読んで、どうにも受け入れられませんでした。
 疑問点は二つあります。
 第1は、人間は、社会と断絶して、50年という長い年月を過ごすことができるものかということです。
 第2は、こういうことで本当に「生活」ができるものかということです。
 第1の点は、人間の孤独ということを考えさせられます。50年も1人で過ごすということは、他の人間と無関係に(配給品を届けに来る船長とはやりとりが少しはあるわけですが)生きていくということです。それは幸せなのでしょうか。元々は両親と一緒に生活していたという設定ですが、両親の死後は、男は家族を持たないままです。他の人に何の影響も与えることなく、ただ自分が生きていくだけです。こういうケースでは、人間が生きていくことの目的は何でしょうか。生きていく意味があるのでしょうか。この男はなぜ自分がここにいるのか、何をするべきか、疑問に思わないのでしょうか。
 ところで、他人との関わりなしに生きているという設定ですが、燈台のメンテナンスはどうするのでしょうか。年1回くらいは、機器チェックのために作業員がやってくるのではないでしょうか。本当にひとりぼっちで生きていけるのでしょうか。
 もしも50年を1人で過ごすということになれば、死刑よりも厳しい刑罰かもしれません。残酷な話です。
 第2の点について、考えてみましょう。
 毎週1回の補給品があるとしても、描かれるのはせいぜい段ボール2箱程度の荷物です。そんなもので、命が長らえるでしょうか。住まいは燈台があるにせよ、衣類はどうするのでしょうか。家具や日常雑貨などは50年も持つでしょうか。配給品は、もっと多様なものでなければなりません。
 50年も経つと、日用品の質も種類も変わってきます。両親がよほどの大金を残したとして、受託者(船の船長)は、そういうものをきちんと管理し続けられるでしょうか。猫ばばする気が起こらないとも限りません。50年のうちにインフレで貨幣価値が下落するかもしれません。
 この点からも、どうにもありえない生活を空想で描いているように思えます。

 漫画とはいえ、いや、漫画という絵を伴う表現形式だからこそ、男の生活がリアルに描かれます。だからこそ、オーツはこんな生活はできないのではないかと思えてしまうのです。そう思った瞬間に、この漫画の描く世界が崩壊し、内容がつまらないものに見えてしまうのでした。


posted by オーツ at 04:19| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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