2011年11月03日

倉部史記(2011.3)『文学部がなくなる日』(主婦の友新書)主婦の友社

 オーツが読んだ本です。「誰も書かなかった大学の「いま」」という副題が付いています。
 タイトルに引かれて読んでしまいました。
 オーツは文学部を卒業した純粋に文科系の人間なのです。
 しかし、単純に文学部がなくなるということを主張(あるいは予測)しているわけではありません。中身は、大学のあり方を問う1冊となっています。その意味では、このタイトルは変です。誤解して本書を買ってしまう人がかなりの数いるのではないかと思います。
 さて、文学部は、現在、人気がなくて、大変な状況にあります。そこで、次の1手をどうするか。
 文学部は、いますぐに社会の役に立つような成果を求めてはいけません。しかし、今までのようなやり方では限界があるのも事実です。
 本書は、p.76 から「残された道はシニア層への展開」だと喝破しています。これは、文字通りそう考えるべきでしょう。退職した人などに、再度大学に来てもらって、実学とは別の学問を学んでもらおうということです。もっとも、こんなことで、教員の給料がまかなえるほどの授業料収入があるのかどうか、心配ではあります。
 p.142 では、AO入試や推薦入試を受けたくても受けられない高校生がいるという、おもしろい話が載っていました。進学クラスなどで、非常に成績がいい生徒です。こういう生徒には、一般入試をたくさん受けてもらって、その高校の「合格実績」を伸ばしてもらおうということです。したがって、AO 入試や推薦入試は受けられないのだそうです。推薦書を書いてもらえなければ、AO 入試も推薦入試も通ることは不可能ですから、高校側のいうとおりにしなければならなくなります。変な事態です。今の入試が病んでいることを端的に物語っています。
 個人的には、第6章「「大学選び」を変える」がおもしろいと思いました。大学選び(さらには学科選び)を間違えると、その人は不幸になります。そうならないためにどうしたらいいかが論じられます。大学教員の高校への出張授業などが意味があるとのことでした。まあ、そうかもしれません。高校生の立場で、大学の各学科がどんなことをやっているのか、わかるはずもありませんからねえ。オーツ自身も、大学に入るときは各学科の中身なんてまったく知りませんでした。
 オーツは、自分の進むべき大学や学部・学科を選ぶときに、いい加減に選んでしまいましたが、入学後、専門に進むときにいろいろと選べるような仕組みになっていたので、助かりました。大学入学時点で、将来自分のやりたいことなんてわかるはずがないと思っています。


ラベル:倉部史記 文学部
posted by オーツ at 04:18| Comment(1) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
日本人に関する '有ること' と '無いこと'。

感性があって、理性がない。
感想を述べるが、理想を語らない。

現実の内容はあるが、考え (非現実) の内容はない。
事実は受け入れるが、真理は受け入れない。

実学 (技術) は盛んであるが、哲学は難しい。
実社会の修復はあるが、理想社会の建設はない。

現実の世界は信頼するが、非現実の世界は信じない。
現実の内容を再現すれば、それは模倣である。
考え (非現実) の内容を実現 (現実化) すれば、それは創造である。
模倣力はあるが、創造力がない。

「今ある姿」を語るが、「あるべき姿」は語らない。
私語・小言は好むが、公言・宣言は好まない。
歌詠みは多いが、哲学者は少ない。

丸暗記・受け売りの勉強はあるが、考える力・生きる力がない。
学歴はあるが、教養はない。
序列判断はあるが、理性判断はできない。

学歴は序列判断の為にあるが、教養は理性判断の為にある。
学歴社会というのは、序列社会の言い換えにすぎない。
序列順位の低いことが恥と考えられている。サムライ社会のようなものか。
理性がなくても「恥を知れ」(Shame on you!) と叱責を受けることのない恥の文化が存在する。

民の声を代弁する議員は多いが、政治哲学はない。
総論 (目的) には賛成するが、各論 (その手段) には反対する。

理想 (非現実) は、現実に合わないと言って受け付けない。
現実の内容を根拠にして、理想を捨てる。
意見は個人個人で異なる。だが、小異を挙げて、大同を捨てる。

恣意 (私意・我儘・身勝手) が有って、意思がない。
恣意の力 (大和魂) に期待をかけるが、意思の力は認めない。
意思決定は困難を極め、多大な時間を浪費する。

「個人の意見は通らない」と言うが、個人を選出する意味が理解できていない。
意思があれば、手段がある。意思がなければ、手段はない。

この国には、何でもあるが、ただ一つ夢 (希望) がない。
この国には、現実はあるが、非現実がない。
日本語には現実構文の内容だけがある。日本語脳は、片輪走行である。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812
Posted by noga at 2011年11月04日 20:07
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