2011年01月17日

水月昭道(2010.9)『ホームレス博士』(光文社新書)光文社

 オーツが読んだ本です。「派遣村・ブラック企業化する大学院」という副題がついています。
 『高学歴ワーキングプア』
2007.11.5 http://o-tsu.seesaa.net/article/64584540.html
の続編という位置づけです。
 大学院に進学した人(というよりは博士号を取得した人)たちが悲惨な人生を歩む場合が多いということで、それに対する警告を発している内容です。博士号を取得しても、働き口がないという現状を描いています。大学の非常勤講師として働くと、十分な年収が得られず、いくつか掛け持ちしても、仕事が忙しくなるだけで、生活は成り立たないということです。
 一読すると、前著のほうがインパクトがあったように思います。本書は、記述がやや散漫になっている印象を受けました。
 著者は結局僧侶になったとのことです。現在は、任期付きの研究員でもあるので、2足のわらじを履いている形です。
 大学院は高学歴であることは間違いないですが、必ずしも、将来が約束されているわけではないというのも事実です。研究者になるときには、大学院に進学するのが普通です。大学院を経由することなく研究者になることも可能ですが、かなり例外的です。
 大学院で学ぶと、修士論文やさらには博士論文を書くことになり、つまりは(ある意味で強制的に)研究をさせられることになります。また、その研究の成果が評価されます。
 大学院に進むことの一番のメリットは、研究を積み重ねる自由な時間を手に入れることにあります。
 また、指導教員にあれこれ相談できることもメリットかと思います。自分の書いた論文を指導教員に読んでもらってコメントしてもらえば、自分の研究の実際に即しているので、大きな意義があるものでしょう。大学院生から、書いた論文のコメントを求められて、それをしない指導教員はいないはずです。
 そのようにして研究活動を行いつつ、研究とは何かを理解し、研究者になっていくわけです。
 しかし、このプロセスにおいては「就職」は無縁です。大学院に進むことで、いい就職先に入ろうという考え方は成り立ちません。
 研究を続けていれば(優れた研究を続けていれば)、きっと誰かがそれを見ていて、研究者への道が開けてくるものでしょう。
 著者も指摘するように、大学院生が、さらには博士号取得者が多すぎるという問題はあると思います。学問分野ごとの事情もありますが、一般的にそういえそうです。とはいえ、大学間の競争(それは生き残り競争でもあるわけです)がある以上は、大学側の自主的な動きとして、大学院生を減らそうとか、さらには大学院を廃止しようということにはなりにくいものです。
 大学院に進学しようとする人たちは、本書あるいは前著『高学歴ワーキングプア』などを読み、実態の一側面を知った上で進学するようにするといいでしょう。大学を卒業するときには卒業論文を書くはずですが、その卒業論文の出来不出来を見れば、大学院進学に適性があるかどうかはかなりわかるものです。したがって、学部を終える段階で指導教員に尋ねれば、本人の研究者としての適性はかなりの程度判断してもらえます。しかし、それがすべてではありません。大学院進学以降もいろいろと変わっていくものです。修士論文を書いた段階で最終的な判断(研究者への道を進むかどうか)をするべきでしょう。教員側からの評価もありますが、大学院生であれば、自分の修士論文のレベルが自己評価できるはずです。


posted by オーツ at 06:07| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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