忙しいと感じる状態と、さほどでもない状態とは、実は紙一重です。
忙しいと感じようと感じまいと、1日24時間であるのはいつでも成り立つ真理です。
では、何が違うか。やはり、他人からの強制力(やらせられる感覚)が一番でしょうか。自分から自発的に行う場合は楽しいと思える場合でも、「しなければならない」ことになると、忙しく感じられるようです。
さまざまな用事は少しずつ増えていきますから、ある時を境にして一気に変わるというわけではありません。しかし、その積み重ねで、まるで降り積もる雪のように重さがだんだん感じられるようになります。
忙しさは雪と違って崩壊することはなさそうです。暖かくなって雪が溶けるのを待てばいいのです。
自分の時間が自由に使えなくなると、いくつかのことを切り捨てるしかなくなります。
寝たり、食べたり、風呂に入ったりという時間は変えられません。仕事の時間も(一部の人は自分の力で時間がセーブできるでしょうが)なかなか変えられません。それ以外のところにしわ寄せが来ます。
趣味などは、なかなか時間が取りにくいものの一つになります。
スポーツもそうです。特に時間がかかるスポーツなんてできません。時間をかけないと腕が上がっていきませんから(時間をかけても簡単に腕が上がるものでもないでしょうが)、すぐおもしろくなくなります。スポーツをしないと、中高年の生活習慣病の問題が出てくるのでしょう。
年を取ってくると、だんだんそのような人間や社会の仕組みが見えてくるようになります。若いうちは頭では理解できても、実感が伴わないでしょう。オーツ自身もそうでした。
文科系のある分野で、45 歳くらいで論文執筆がピークになるなどという研究があったりしますが、そのあとの年齢の人はどうなっていくのだろうなどと思いました。自分がその年になってみればわかります。ボケが始まるので、若干能力が衰えることになりますが、それはあまり影響が大きくないように思います。むしろ、時間の使い方が窮屈になってきて、論文が書けなくなるのです。
いろいろ考えさせられます。
ブログを書いているから時間がなくなるんだといわれれば、そうかもしれません。
まあ、ブログを閉鎖したからといって事態が改善するとも思えませんが、……。
2010年02月10日
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