2009年03月26日

ネットで本の閲覧が可能に

 日経新聞3月24日朝刊の48面(最終面=文化面)に「せめぎあう著作権A」として、「「黒船」グーグルの衝撃 ネットで本閲覧、対応迫る」という記事がありました。
 米検索最大手グーグルが進める書籍検索サービスに日本語書籍も含まれるのだそうです。グーグルは 700 万冊以上の蔵書をデータベース化し、それによってネットで書籍を全文閲覧できるようにするということですから、大規模な構想です。アメリカの著作権法では、「フェアユース」の考え方がありますから、グーグルは、その考え方に従って、著作権者の承諾なしにブック検索の構想を進めてきたというわけです。
 米出版協会などは、著作権侵害としてグーグルを訴えたわけですが、昨年10月には和解が成立したとのことです。
http://jp.techcrunch.com/archives/20081028authors-and-publishers-associations-settle-with-google-over-125-million-lawsuit/
 つまり、グーグルはネットで書籍を読む権利を米国内で販売できるようになったわけです。そして収入の63%を著作権者に分配することになりました。
 さて、ここでの問題は、日本の著作権者も、本がアメリカの図書館にあれば、このブック検索の対象になるということです。これをどう扱うのでしょうか。
 個々人が和解に異議を唱えて、自分の本をデータベースから削除することを求めることもできるわけですが、実際行うかどうかということになると、なかなか判断がむずかしい問題になります。
 内田樹氏は、こういうグーグルのサービスに賛成だとのことです。
http://blog.tatsuru.com/2009/03/23_1053.php
内田氏は、誰でも無料で本を読むというところから読書人生をスタートさせ、やがて「自分の本棚」を有するようになると述べています。自分の本棚は、自腹で買った本ということになります。これが自分の「脳内マップ」だとしています。そのようにたくさんの本を読み、自分の本棚を持つ読者を育てることが大事で、そういう読者に自著が選択されることがものを書く人間の栄光だとしています。
 内田氏のことば「自著は「無償で読む機会が提供されたら、もう有償で購入する人はいなくなるであろう」と思っている人たちは、どこかで「栄光」をめざすことを断念した人たちである。」というのは実に激しくまた厳しい表現です。
 しかし、オーツは内田氏のこの議論には必ずしも賛成ではありません。
 自分でも「自分の本棚」はあるけれど、半世紀ほど生きてきて、その本棚の本の多くはくさっていると思うことが多くなりました。「くさっている」というのは、利用されないということです。自分の本棚に本を入れておくのは、また利用するかもしれないと考えているからなのですが、過去を振り返ってみると、一度読んだ本を再度利用することはそんなに多くなく、蔵書量を基準にすれば、再度利用するものは 1% くらいしかないのではないかと思います。(若いころは蔵書が少ないので、再利用率は、もっとずっと高かったように思います。)しかし、どの本を再度利用することになるかわからないので、とりあえず、全部とっておくということになります。
 オーツは、図書館も利用していますが、本は、図書館から借りて一度読めばそれで十分だと思えることもたくさんあります。その本が必要になったら、再度図書館から借りればいいのです。その時点で本がなくなっていても、国会図書館などの大きな図書館に行けば入手可能でしょう。
 アメリカ人は、蔵書をあまり持たない主義の人が多いと聞きます。学生なども、本を買うことはあまりなく、図書館で借りて読むのだそうです。それはそれでいいでしょう。
 日本人は、蔵書を持っている人が多いようです。それは、図書館が貧弱だから、しかたなくそうしている面が強いのではないでしょうか。
 アメリカ人だったら、グーグルのブック検索は大喜びでしょう。もともとそういう文化の上にこの構想があると思えばいいのです。
 日本でも、ブック検索が始まると、そちらを利用することが増えるように思います。中高年層は今までのライフスタイルがありますから、大きくは変わらないでしょうが、若い人は、ネットに親しんでいて、本はむしろ親しんでいません。また、若い人ほど、狭い家に住んでいることが多いですから、本を買っても置く場所に困るでしょう。(オーツもそうやって暮らしてきました。しかし、昔はインターネットなどが存在せず、本を買うしかなかったら、苦労しても本を買い込んで蔵書を増やしてきたという経緯があります。特に仕事に関連する本はそうです。)

 グーグルのブック検索に関連して、著作権者と言っても2種類あることに留意するべきです。
 一つは、他に職業(=収入源)を持っている人です。内田氏も神戸女学院大学教授だそうですから、そちらの給料だけで十分食っていけます。そういう人は、自著が無料で公開されても何ら問題ではなく、むしろそのほうが望ましいと考えるでしょう。
 しかし、一方には、著作で食っている(他に職業のない)人がいます。作家などはその典型です。プロなのです。こういう人たちは、自著が無料公開されたら困ることになります。ただし、今回の話では、無料公開のプレビュー利用は最大 20%(隣接する5ページを超えない)とのことなので、このくらいなら大きな影響ではないと思います。
 ネット閲覧の収入の 63% が著作権者に払われると言っても、そもそも著作権料自体が安く設定されるでしょうから、それで作家が食っていけるかどうかは何ともわかりません。ネット閲覧では、今までの紙の書籍媒体で通用してきたような概念はすべて取り払われてしまいます。どんなことになるか、事前には予想がまったくできません。
 そして、この問題は、さらに複雑な面があります。2種類の著作権者は、きちんと区分されているわけではないということです。大学教授も、定年退職をすれば、給料がゼロですから、作家と同じようなものです。また、定年前でも、本を書くのが忙しくなり、大学を辞めてしまう場合もあるでしょう。作家だって、全部が全部、印税や原稿料だけで生活しているわけではないでしょう。講演やら何やら、副収入があるのがむしろ当然です。
 個々人の立場も、あちら側からこちら側まで幅がある上に、それが時間によって変わっていくという面もあります。それなのに、今の時点で(和解に異義がある場合は今年の5月までに申し立てる必要があるそうです)将来を見越して判断せよというのは、かなり無理があります。

 ここで、オーツの勝手な予想を述べてみましょう。(あまり根拠はありません。)大きな流れとして、ネットでの本の閲覧は避けて通れないと思います。紙媒体は減少の方向でしょう。したがって、プロの作家も、ものを書くことによる収入が減少し、それ以外の収入が多くなると予想します。プロとして活躍できる「専業作家」は今よりもずっと少ない一握りの人だけで、「兼業作家」が増えるでしょう。「専業作家」が減っていくのですから、作家の入れ替わりも激しくなるでしょう。こんなことを通じてしだいに「作家」の質が変わってくるのではないでしょうか。さらには、産み出される作品も(質や傾向などが)変化していくと思います。
 流行歌(古いことばですが)を歌っていた歌手を考えると、わかると思います。昔はひとりの歌手が同じ歌を20年も歌っていたものです。東海林太郎などという人はさまざまな年代の人に記憶されています。今は、ヒット曲の旬な時期は数ヶ月も持たないようになっています。曲も、歌手も、激しく入れ替わり、「消費」されます。
 オーツは、流行歌のような変化が本にも見られるようになるだろうと予想します。それがいいか悪いかとは別問題です。
 ブック検索の問題がどうなるかは、要注目です。

関連記事:Google ブック検索スタート
2007.7.7 http://o-tsu.seesaa.net/article/52563944.html

ネットでの関連記事
http://mainichi.jp/life/electronics/news/20090309ddm012040040000c.html
http://mainichi.jp/life/electronics/cnet/archive/2009/02/26/20388995.html
http://www.jbpa.or.jp/pdf/documents/google-ipa.pdf
http://www.jbpa.or.jp/pdf/documents/google-wakai1.pdf

posted by オーツ at 05:46| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース時評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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