ネットを見ていたら、COBOL プログラマがデータベースソフトに駆逐されてしまった話が出ていました。
http://www.pro.or.jp/~fuji/mybooks/okite/okite.6.6.html
オーツも、学生時代には COBOL でプログラムを書いていましたから、身につまされる思いで読みました。
今も、ときどきはプログラムを作りますが、それは、自分の考えをパソコンで確認したいと思うときです。オーツの場合、定常業務などというものはありませんから、データベースソフトで済ませられるとは思いません。
しかし、この話で身につまされるところは、実は、時代に応じて新しい言語(その他の技術)をどんどん覚えて活用していかなければならないということです。実はこれが一番むずかしいと思います。
若いときは、新しい言語の習得にもあまり苦労はないと思いますが、年を取ってくると、身辺が忙しくなり、新しい言語を習得するのはなかなか大変です。
特に、若いときは、わからないことがあれば回りの誰彼に自由に質問できるのに対して、年を取ってくると、そうもいっていられなくなるという面があります。ホントは、若い人に教えてもらえばいいのでしょうが、……。
オーツは、いつまでも COBOL を使い続けるような化石的な人間になってしまうのでしょうか。まあ現実には COBOL 処理系を持っていないし、COBOL でなければできないような処理をすることもないので、過去数十年間、COBOL でプログラムを書いたことはありません。ということで、COBOL(に関する知識)は捨ててしまっても何ら問題はないのですが、……。
では、逆に、今、何を習得しておけばいいのでしょうか。このあたりが悩ましいところです。
自分でプログラムを書くときは、何となく、昔の言語をそのまま使っていたりします。もう体に染みついていますからねえ。母語(日本語)と同じような感覚でしょうか。
2009年02月28日
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