2015年03月14日

下関市長が下関市立大「修士論文」不合格

 オーツは iza という産経新聞のサイトで知りました。
http://www.iza.ne.jp/kiji/politics/news/150310/plt15031022160031-n1.html
 下関市長・中尾友昭氏が下関市立大学に提出した「修士論文」が不合格になったという話です。中尾氏は、情報公開請求をするそうですが、オーツは、中尾氏がいよいよ恥ずかしい(恥知らずな)行為をしているように思います。
 オーツが驚いたことはいくつかあります。
 第1に、「研究科の教授らで構成する委員会に諮られたが、合格に必要とされる出席者の3分の2以上の賛同が得られず、今月5日に「不合格」が伝えられたという。」という点です。博士論文ではそういうこともあるでしょうが、たかが(といっては恐縮ですが)修士論文で、委員会全体で審議しているのですね。それは必要ないと思います。大事なことは、教員がきちんと修士論文を読む(そして評価する)ことで、そういうのは、2人か3人が読めば十分です。合格レベルか不合格レベルかはわかるものです。実際に読んだ数人の評価が一致するなら、その評価は妥当なものです。審議の場に何十人もの参加者がいたとしても、その大半が現物を読んでいないのですから、あとは現物を読んだ教員の評価を信頼するしかないのです。
 第2に、中尾氏の言い分です。「実務者としての経験や人生論を盛り込み、(大学の)先生方には今までに見たことがなく、奇異に映ったのかもしれない。」と言っています。この言い方で、中尾氏は研究論文としての修士論文をはき違えていることがわかります。実務経験や人生論を盛り込まれても、それは評価の対象になりません。経済学研究科であれば、経済学に関して学問的に意味のある論文(何か新しい知見がある論文)になったか否かがポイントであって、それ以外は蛇足でしかありません。中尾氏は論文に書くべきことを勘違いしているのです。そんなのをA4判約550ページも読まされる教員がかわいそうです。
 第3に、修士論文はいきなり大学に提出して合否を判断するものではなく、1〜2年をかけて指導教員と相談しつつ書き上げるものです。その過程で教員からの指導が受けられます。こういうテーマでいいか、こういう調べ方でいいか、こういう考え方でいいか、こういう結論でいいか、などなど、さまざまな点でチェックされると思います。中尾氏はこういう論文指導を受けなかったのでしょうか。受けなかったとすれば、その時点で、独善的な「修士論文」を出しても、通るはずがないのです。受けたとすれば、自分が修士論文を書けるか否か、自分で判断できると思います。
 第4に、不合格になったあとで、大学側は本人に不合格の理由を説明しなかったのでしょうか。オーツの勝手な推測では、おそらく勘違いのトンデモ論文が提出されたものと思いますが、なぜこういうのでは修士論文に値しないかを指導教員が丁寧に説明する必要があります。このことは指導教員の一番大事な仕事です。この段階で中尾氏が納得すれば、「情報公開請求」などという話にはなりません。
 このようなことを考えてくると、中尾氏が情報公開請求をするということは、自分自身が学問の意味がわかっていないということをおおやけに宣言するに等しい行為です。だから、オーツは「恥ずかしい」「恥知らずな」行為だと思えるわけです。
 大学側には十分な指導ができなかったという面もあるかもしれませんが、それは問題になりません。中尾氏が指導を求めても大学側がそれに応じないならば、そういう話も成立しますが、そういうことはなかったと思います。おそらく中尾氏から指導を申し込まなかったのだろうと推測します。世の中には、そういう唯我独尊的な大学院生もいるものです。
posted by オーツ at 03:58| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース時評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする