2014年07月27日

高野光平・難波功士(編)(2010)『テレビ・コマーシャルの考古学』世界思想社

 オーツが読んだ本です。「昭和30年代のメディアと文化」という副題がついています。
 マスコミ論関係の論文集というべきでしょうか。
 京都精華大学が所蔵するテレビ・コマーシャルのデータベース(約1万タイトル)を研究者が見て、そこからいろいろなものを読み解いていきます。
 一番おもしろかったのは、辻大介「CM言語の「断層」、1950/1960――広告としての自律化と受け手の内部化」でしょうか。どんな広告表現が使われていたのかを分析しています。たった10年ほどの間にCM表現がこんなにも変わってしまうのですね。まさにCMの初期ならではの現象でしょう。CMのナレーションは、当初女性が担当していたのに、だんだん男性が担当するように変わっていくなどということは初めて知りました。「どうぞ」「ぜひ」「ください」などという言語表現は使われることがぐっと減っていきます。昔のCMは、送り手が受け手に直接働きかけるものだったんですね。それが送り手側が二人で話していたりして、受け手に働きかけることはなくなっていったというわけです。
 何はともあれ、昭和30年代という、テレビ放送の初期のころのCMが大量に残されているというだけで胸がわくわくします。本書には、当時のテレビ・コマーシャルの写真がたくさん出てきます。オーツはリアルタイムに見ているはずですが、残念ながらこれらのCMをほとんど覚えていません。
 当時のコマーシャルは、なつかしいような、変な気分になるような、独特の雰囲気があります。現物を見てみたいような気持ちになりました。
 こういう、埋もれかかっている資料は、ぜひ大事にとっておいてほしいものです。CMであってもです。たかがCM、されどCMです。CMは、その時代を映す鏡なのです。
 現代でも状況は同じです。今流されているCMは、今から50年後、見ることができるでしょうか。技術が進んできたから見られますかね。
 今だったら、漫画本(週刊誌や月刊誌もいいですが、雑誌の連載がその後単行本化されたもの)なども残しておいてほしいものです。オーツは、立派な大学図書館の中に膨大な漫画本がきちんと整理されて収まっている姿を夢見てしまいます。データの宝庫になるでしょう。


posted by オーツ at 05:00| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする