2013年12月15日

歌舞伎・知られざる忠臣蔵@国立劇場

 オーツは13日に歌舞伎を見に国立劇場まで行ってきました。久しぶりでした。
 この日は、「知られざる忠臣蔵」ということで、赤穂浪士討ち入りの日(12月14日)にちなんで、忠臣蔵に関わる芝居3本立てでした。
http://www.ntj.jac.go.jp/schedule/kokuritsu_l/2013/25121.html
 まず、16:00-16:45 に「主税と右衛門七(ちからとえもしち)―討入前夜―」が演じられました。
 討ち入りの前夜、つまり12月13日に、大石主税(おおいしちから、大石内蔵助の息子)と矢頭右衛門七(やとうえもしち)という二人の10代の若者が酒を酌み交わします。いずれも討ち入りに参加します。右衛門七に恋をしている娘お美津がいますが、討ち入りのあとの切腹を覚悟している右衛門七は、お美津に迫られても、自分からは結婚しようと言い出せません。
 昭和になってから作られた現代劇なので、台詞がとてもわかりやすく(当たり前ですが)気楽に見ることができました。
 ここで20分の休憩が入りました。もっとも、舞台の左右の電光掲示板には、初め「休憩35分」と表示され、1分経って34分になったときに19分に変更されました。ま、休憩が20分であることはスケジュール表などでも公表されていましたから、間違える人はいないでしょうが。
 17:05-18:35 は、「いろは仮名四十七訓 秀山十種の内 弥作の鎌腹(やさくのかまばら)」でした。
 弥作は百姓ですが、弟の弥五郎は武士の家の養子となり、千崎弥五郎として立派に成人しています。弥五郎が帰郷してくるとき、兄の弥作から縁談を持ち込まれます。弥作は、世話になっている代官からその娘を弥五郎に嫁入りさせたいといわれ、引き受けてしまったのです。弥作から話を聞いた弥五郎は、縁談を断ります。最初はその理由を明かさなかったのですが、理由もなしに断り切れなくなって、実は討ち入りの計画がある(したがってその後は切腹になる)ためだと打ち明けます。弥五郎は弥作に絶対秘密にするように強く言います。弥作は代官に弥五郎の縁談を断りに行きます。しかし、やはり縁談を断るために、代官に討ち入りの計画を明かしてしまいます。代官は訴え出ると騒ぎ出します。弥作はやむなく代官を鉄砲で殺し、鎌で自分の腹を切ってしまうのでした。
 1791年の初演だそうですが、ストーリーがわかりやすいので、こちらも台詞が十分聞き取れました。
 血なまぐさい話ではありますが、喜劇的なところも随所にあり、客に対するサービス精神が感じられる芝居でした。
 終了後、35分の休憩となりました。オーツはスーパーで買って持参してきた弁当を自席で食べました。両隣の女性客もそうしていました。
 19:10-20:30 には、「忠臣蔵形容画合(ちゅうしんぐら すがたのえあわせ)―忠臣蔵七段返し―」が演じられました。こちらは踊りが主体です。忠臣蔵といいつつも、仮名手本忠臣蔵ですから、登場人物は実名ではなく、皆他の名前になっています。たとえば「大石内蔵助」は「大星由良之助」といったぐあいです。
 こちらはストーリーはないも同然なので、ま、一座総出演の華やかな舞台を見て楽しむものでしょう。
 今回上演された演目は、いずれも忠臣蔵の外伝という位置づけでした。忠臣蔵を知っている人が、その関連の話を楽しむものだということです。
 最近は、忠臣蔵を知らない若い人が増えているそうで、学生などに聞いても、浅野内匠頭、吉良上野介、江戸城松の廊下、討ち入り、赤穂浪士など、まったく知らない人が大半だそうです。忠臣蔵そのものを知らなければ、外伝は楽しめません。今や、忠臣蔵を知っている人は年配層だけになってしまっているようです。
 自席から、ふと周りを見渡すと、やっぱり年配の客が多かったようです。一部には若い人もいましたが。

 帰りは、国立劇場から新宿行きのバスに乗って帰ってきました。20分ほどのバスの旅でしたが、四谷から新宿にかけての繁華街をバスで通ってみるのもいいものです。通りがにぎやかでした。
 オーツの場合、最近、こんな時間に繁華街を通ることはめったになくなりました。
posted by オーツ at 05:20| Comment(0) | TrackBack(0) | イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする